MMTに入門した

www.amazon.co.jp

www.amazon.co.jp

話題の理論に入門してみました。当方経済専攻でもなく、特に深い動機があったわけでもないし、政治的なあれこれの関心があったわけでもないです。

というよりは、僕はとにかく人間や社会における政治性がとにかく嫌いで、可能な限りそうした政治性や歴史性が脱色された機構的おもちゃが好きなのです。歯車とか。ピストンとか。経済の知見を得るとしたらなるべくそういう形の知識がほしい。物語性は敵であり総合性も敵です(えっ)。

そういう気持ちもあり、流行り物は好きではないのですが、流行り物だから拒否するというのもそれは不毛な逆張りだし、政策パッケージとしてのMMTとしてではなく、貨幣理論としてのMMTなら多少なり楽しめて得るところがあるのではと思ったのでした。

で、結論からいうと、得るところはありました。👆の本はだいたい米国事情ベースなのでそのあたりはよくわからなかったのですが、 貨幣理論としてのMMTの、少なくとも原理的な面はとてもシンプルで、

主権不換貨幣の総量は政策上の自由に操作可能な変数であって制約や目標ではない

というか、コレ以外の点はごく常識的で、実質的にマクロ経済の財政上の境界条件だけを修正したもので、 理論上は異端でもなんでも無い気はします。その境界条件だけ取り上げるとまた怪しく見えてしまうのですが...

というわけで、以下感想がてらに素人なりの理解を記しておきます。

貨幣価値 is 何

正直なところ、本当に内容は先の一行で説明が終わってしまっているのですが、 もうすこし踏み込むと、MMTは次のことを説明するように見えます。

貨幣とは何でその価値は何で担保されているのか?

通常、商取引で貨幣を支払うということは、取引商品とその貨幣が価格的に見合っているからこそ行われるのだと考えられます(その"価値"とは何で、どう測るかという問題はありますが、とりあえず取引主体が「交換してもいいかな」と思うことだとします)。すると、貨幣にはなんらかの価値があることになりますが、それはなにか?

AがBから財Xをn円で購入するとき、少なくともAのn円の価値はX以下に、またBはn円の価値をX以上に見積もっていないと成立しません。価値観の相違を許したとしても、少なくともBは貨幣価値を理解していないといけないことになります。つまり、Bはn円になんらかの価値を見出しているわけですが、それはなにかということです。

ここで話がめんどくさくなるのが、貨幣の通用性で、例えばAは、貨幣はBにとって価値があるなら、Bの財を引き出すためのトークンとしてAにとっても貨幣の価値がつきます。同様に、貨幣がCにとって価値があるなら、Cの財を引き出すためのトークンとしてBにとっても貨幣の価値がつきます。

つまり、「自分以外の誰かにとって価値がある」という性質はそれ自体が貨幣の価値の"可能性"の分枝に含まれるわけです。これはなんか、集合の帰納的定義みたいなやつで、通用性は貨幣の実効的な有用性の幅を広げるわけです。通用性が広がると、たとえばn円の貨幣は何時でも財Xと交換できるので、n円のほうが嵩張らないのでn円で持っておくか、ということができるようになります。つまり、その貨幣をユニバーサルな貯蓄として使うことができるようになります。

じゃあ、そうした再帰的な有用性の波及"だけ"で、貨幣が貨幣として機能するだろうか?と考えると、これは微妙な話になってきます。というのも、そういう意味の価値だけでいいなら、これは完全に流通コミュニティの価値観の安定性の話になってしまい、また実際そうして成立するトークンは存在して、暗号通貨とかはある意味そういう例に見えます。あれは一切の兌換性ももたず、アルゴリズム的に示量性が保証されていて、限定的ではあるのもの市場が存在します。ただし、ドルや円だとかの法定貨幣にくらべて、ビットコインボラティリティ(変動の大きさ)は数十倍から数百倍あるわけで、資産や貯蓄として使うには非常に不安定です。さらに、通用性も非常に小さいです。暗号通貨を直接受け取ってくれる小売店は、法定通貨のそれとは比べ物にならないくらい少ないです。これはまさしく貨幣価値の担保がない事を反映しているように見えます。何の使いみちもないレアメタルを取引しているのと同じです。金のほうがまだ工業的使いみちがある分なんぼかマシかも。

租税貨幣論による担保

そう、法定貨幣、これが違いなのです。貨幣価値を担保するには、それに何らかの財なり権利が付与されているとするのが一番明快ですが、MMTはここで租税貨幣論をとります。つまり租税支払いに使える唯一のトークンなので、貨幣には価値がある(このことが法で定められているので法定)。何らかの政体の及ぶ地域に在住していれば、なんらかの租税が課されます。その支払いを怠ると、最終的にはなんらかの権利が剥奪されます。つまり、徴税状態は人権の次くらいに根源的な負の価値があり、それを解消できる(しかも貯蓄しておけば将来にあたってずっとそれができる)トークンである法定貨幣は正の価値があります。

ということで、貨幣それ自体には、租税支払いトークンという価値担保があることになります。

この租税支払いトークンとしての貨幣は、同時に債務証書としてみなすこともできます。つまり、権利証書のことですが、例えば借金手形は、「私phykmは何時までに何円返します」という証券のことで、それは言い換えれば「この券の所有者は何時以降phykmから何円もらえる」という権利であり、それがこの紙切れの価値を担保しているわけです。

一般に債務証書は、場合によっては不渡りを起こしえます。債務不履行というやつで、こうなった場合は、証券価値は消しとんでしまいます。通常はそうした証券の市場取引価格に、その分のリスクプレミアムが上乗せされるわけです。

では、貨幣を債務証書だとみなすとき、その内容はなんでしょうか? そうした契約書が存在するわけではないですが、法定貨幣故に、実質的には租税支払いを二通りで言い換えたものになり、

  • 債権として: この券の所有者は、本券を債務者政府に手渡すと、租税義務のうち額面分を減免される
  • 債務として: 債務者政府は、本券を受け取ることで、所有者に政府が課した課税義務のうち、額面分を減免する

ということになるわけです。すると、この場合、法定貨幣の「債務不履行というのがどういうことか理解できます。つまり、

  • 法定貨幣の債務不履行:租税支払いを指示通りに法定貨幣で完了したにもかかわらず、脱税とみなされて捕まる

という状態がそれです。まともに税制を運用している国家であればありえない状態であることが理解できます。

また、直接債務不履行を起こさなくても、貨幣価値の可能性が消滅するという状況がどんな場合かを考えることができます。(ここでは一旦為替:異なる貨幣間の相対価値のことは考えないとします)。つまり、租税による貨幣価値担保が消失することで、

  • 完全な無税状態になる、または税制が設定されているが、強制力がなく、脱税が極めて容易である

という状態になります。これもまともに税制を運用している国家であればありえない状態であることが理解できます。 (もちろん、税制が消滅しても、それは貨幣価値の担保の可能性の一つが消えるだけなので、通用性のみによる価値は残ります)

税制が消滅とまでいかなくても、例えば減税や増税を行ったときにどうなるか、ということを考える事もできます。租税回避は、消費主体の選好のなかでもかなり強い傾斜がかかっているだろうことは予想できます。なにせ権利が奪われるので。

となると、消費主体の予算が一定であれば、税を重くすると、それだけ租税回避(支払い)に所得が食われ、それ以外の消費行動に割り当てる貨幣が減ります。すると、他の財を消費できなくなるので、需要が下がり、取引価格は落ちます。つまり、デフレ圧となります。逆に税を軽くすると、事実上可処分所得が増えるので、この逆が起きるわけです。ちなみに増税した場合、物価(実物財あたりの貨幣量)は下がりますが、同時に貨幣価値(単位あたりの貨幣そのものの価値)も下がっています。なぜなら、「税を回避する」という固定価値を獲得するのに必要な貨幣が増えているからです。

このあたりは市民的直観にも敵ってますね。なお本国はデフレなんだから減税しろという声も虚しく0->3->5->8->10と増税の一途をたどっています。

無限に刷れる理由

さて、貨幣価値が担保されたので、政府は安心して貨幣を刷ることができます。

何故か? 貨幣価値を担保している政府の債務とは、ゼロ円以上の税制を敷かれている前提で、 「発行貨幣による租税支払いを受領する」ことでした。 これは無限に履行できます。つまり、 無限に「借金(債務証書の発行)」をして、その「履行(租税支払いを受け取る)」ができます。 具体的には、支払ったその人を支払い済みリストに追加し、受けとった貨幣をその場で破り捨てるだけです。履行済み債務証書なので。

このあたりは「税は支出のための財源」という考えが間違っていることも示しています。すなわち、 貨幣価値の担保は「政府への租税支払い券」なので、それを履行した段階で貨幣は本来消滅するはずです。 政府の会計で、租税収入を支出に回す、というのは、履行済み債務証書を印紙代がもったいないからと言って再び使うようなものです。普通に考えれば支出にあたってすべて新規発行すればよいのです。一部twitterのMMTerの方々が、「税収とはお金を潰すこと」みたいなことを言っていますが、これは債権証書として考えれば文字通りの意味です。

おそらくMMTの反直感的な点は、貨幣という、日常的には当たり前に価値のあるものが、無限に刷れるわけがない、という気持ちだと思います。しかし、ここで見たように、実際には貨幣を債務証書とみなすことができ、さらに政府はちゃんとこの債務を履行しているわけです。そしてその履行の総量には物理的制約がない。これが無限に刷れることの理由です。(逆に言えば国家消滅の危機みたいな、税がなんぼのもんじゃいみたいな事態になれば、貨幣価値担保も怪しくなる)

貨幣以外にも、自国通貨立て国債も任意の額発行できます。これも不履行になりえません。あえて政府が償還を拒否すれば起こせますが、そんな馬鹿なこと(ちょっと見てみたくはある...)をするくらいなら貨幣を刷るか、借り換えるでしょう。自国通貨なので満期償還時に必要なだけ刷ればよいからです。というか、国債というのは、実質的には時限と利子がついた貨幣のことです。利子以外の部分は、「印刷したこれは貨幣だったのか否か」の判断を満期償還時まで遅らせることができる貨幣です。

ということで、

  • 主権(発行権と徴税権をその政府が持っている)
  • 不換(他の財や他国貨幣との兌換性を政府が保証しなくてよい)

な貨幣は、 その政府にとって、制御可能な変数です。制御可能とは、 政策によって自由にその総量を調整できるということです。 例えば増税するか、支出を絞れば、貨幣総量を減らせます。逆に減税する(恒久的無税にまではしない)か、貨幣を刷って支出すれば、貨幣総量を増やせます。貨幣総量を増やすことを財政赤字と呼び、貨幣総量を減らすことを財政黒字というわけです。

そして貨幣は、こうした任意の制御が可能な"唯一の"財です。

つまり、貨幣は自由に操れるが、それ以外の実物財が操れる保証はないのです。

このことはケルトン本でも何度も強調される重要な点ですが、 政府は国民によい生活なり環境なりを提供するために色々やるわけですが、 例えば、うまい飯を食わそうとしても、農地と農業従事者が無ければどうしようもなく、 ハイテク機器でIoT!などとのたまっても、ハイテク産業の工場と技術者が無ければどうしようもない。 情報人材!介護人材!と叫んだところで、教育された人材、または教育インフラが整ってなければ、出てきようがありません。 かと言って、当然政府がそれを持っているわけでもありません。 したがって、これらは間違いなく示量的な財に関するビジョンですが、政府はこれを直接操作できる保証がありません。

しかし、主権をもつ貨幣だけは制御できます。税制を変更し、貨幣を印刷するか、租税支払いを受領すればよい。 そして、少なくとも国内に関しては、その貨幣の需要は租税の存在で担保されているため、 国内市場にある財に関しては、刷った円でそれを購入できます。もちろん政府が消費するわけではないので、 それを然るべき必要な場所に変換して配置します。つまり実質的には支出というのは国内の財の再割当てのことです。

つまり、もし政府が財Xが沢山欲しいという場合、国内調達する手段としては、

  • Xの生産部門に支出(投資)して生産力を上げてもらう
  • 生産力が上がるのを待つ
  • Xを購入する

財Xがもういらないとあれば、

  • Xの購入をやめる
  • 必要に応じて労働者の再就職を支援する

みたいな手続きを踏む必要があるわけです。つまり、 貨幣をどのタイミングどこに割当て、どこから取り、その結果実物経済に何が起きるかだけが問題であり、 その収支は問題にはならないことになります。

ということでケルトンは著書のなかで「本当の制約は実物財の方だ」という旨のことを何度も強調しているわけです。

貿易を考えると、もう少し政府が打てる手段は変わりますが、主権不換貨幣の総量をコントロールすることについて制約が無いことは同じです。自国通貨換算で貿易赤字(相手国が自国貨幣保有を増やしている)であっても、だからどうということにはなりません。むしろ自国の公的決裁にしか使えないトークンをもらって実物財をよこしてくれているのでありがたい話とも言えます(とはいえ輸入目的で無限に刷れば自国通貨安になって輸入が持たなくなるため、それは考える必要がある。相手国にとって、この貨幣の価値は自国経済の財を購入できるという点なので、例えば貨幣を刷って輸入すると同時に、自国産業にも投資して強化する等)。

つまり、財政の主要な課題というのは、政府が赤字かどうか(支出と税収の差額)ではなく、

  • 税をどのくらい課すと、実体経済にどのくらい影響があるか
  • 支出をどこにどのくらい行うと、実体経済にどのくらい影響があるか

という点(のみ)です。もしここに望ましくない効果が予想されるなら、それは調整する必要があります。よくMMT批判として出てくるインフレ懸念もこの一部です。例えば、民間需要がある財Xを政府が(例えば輸出のために)買い占めたりすれば、供給が不足して価格が上がります。またありえない話ですが、支出において一切財を購入することなく、一人当たり1億円を配るみたいなことをすれば、それだけ価格も上がるでしょう。こんな馬鹿げた額を唱える人はいませんが、これが10万とかであれば、現にこの間の特別給付で実施され、結果として大した問題もなかったということになります。

不換貨幣の発明

こうしてみると、主権不換貨幣というのはものすごい発明に思えます。

まず不換性ですが、以前は幾つかの通貨は金と貨幣の兌換性があったわけですが、これはどういうことかというと、政府が金と貨幣のコンバーターとして振る舞う必要があるわけです。これが市場に任されていれば、価格変動によってどこかで均衡するはずですが、兌換性を保証してしまうと、 「物理的に異なる2つの財のコンバーター」という、そのものからして物理法則に反する機能を政府や銀行が押し付けられてしまうのです。 物理学のアナロジーを考えれば、これは無理筋だと想像できます。例えば「1リットルあたり1ジュールで交換します」みたいな機械が破綻をきたすのはほとんど明らかでしょう。だから、物理法則がその互換性を保証していないような財に対して、兌換としてはいけなかったのです。あるいは、その総量を常に把握して管理する必要がある。

それから主権ですが、貨幣を刷っても、それに需要がなければ広く使われることはないわけです。兌換性はそのわかりやすい担保でしたが、物理的に無理がありました。また通用性と示量性だけでは暗号通貨のように限定的にしかならないし、価値も不安定になります。そこで、租税に関連付けることで、行政の届く範囲において広く普遍的な需要を喚起でき、決裁・貯蓄手段として普及させることができます。この貨幣の債務は税の受領という抽象的な行為で行われるため、履行は無制限にできます。つまり、政府が発行することについて特に制限はない。物理学のアナロジーで言えば、全ての熱力学系に、貨幣という新しい示量変数を追加するようなものです。政府はこの貨幣の熱欲を持っています。 不換なので別の財との交換を政府が求められることもなく、それは市場が勝手にやります。 常に偽造を取り締まるというコストは掛かりますが、貨幣自体の物理的価値がほぼないことと合わせて、政府は貨幣総量を自由にコントロールできるようになります。

そうすると、どうやってこのシステムが成立したのか?という疑問も出てきます。また、主権不換通貨がよくできたシステムなら、とっととそうでない国もそれに移行すればよいのではないか?

これは歴史的経緯や国際関係が効いてくるはずで一概には言えないでしょうが、例えば国内産業に乏しく、生活必需品の大半を輸入に頼っているような国の場合、そもそも独自通貨を発行しても、支出先が無い(受け取ってくれる自国産業がない)ということはありえる気がします。すでに生活の大半が外貨で回っている場合に、新規貨幣に乗り換えさせるに十分な需要を喚起するには、租税を用いても難しいかもしれません。その意味ではいま現在このシステムを存続させている国はある意味幸運かもしれません。

Fock空間 via StringDiagramで完全理解する確率過程:Revisited portal

以前

 

phykm.hatenablog.com

を書いたのですが、実はこの議論の背後にStringDiagramによる極めて雑な計算が隠れており、それを端折った故に、謎の数式が書かれただけの怪文書になってしまっています。

 

あれから色々続編を考えおり、その結果として、割と話が膨らんで面白くなってきたんですが、しかし計算につかったString Diagramをタイプセットするのは異常につらく、かつ計算も雑なためにきちんと定式化/フォーマルな文書にまとめるモチベが低く、あれそれしているうちに半年が過ぎました...

 

しかしこのまま放置するのもどうなんという思いと、一抹の数物的寂しさを覚え、もう手書きでいいからダラダラと書いたものを公開してしまえ、という気分になったため、iPad使って計算を書き直して公開していくことにしました。

 

個人的な書きやすさから、本体をesaに書いており、記事をはてなに移そうかと思ったものの、tex記法が非互換などでハチャメチャに面倒なので、ここをポータルにします。書き次第追加していきます。esaにはコメントできるかわからないので、なにかありましたらtwitterかこの記事へオナシャス

 

パート1(Boson Fock via String Diagramと色々概念対応)

10/8 up

esa-pages.io

 

パート2(Gauss過程/Poisson過程/Levy過程とLevy Khinchine定理)

10/8 up

esa-pages.io

 

(予定)

パート3(Parthasarathyの伊藤積分と伊藤公式についてホニャララ)

パート4(二乗可積分マルチンゲールをどうにかする)

パート5(確率過程を微分する)

パート6(なんか応用する)

理想気体を定義する

大前提として次のような考えに基づきます。


ポアンカレ補題を考慮に入れれば、熱力学系を定義するためには、次が得られれば十分であることになります。

  • 状態方程式 or または状態方程式についての条件式、の集まりであって、
    • 示量/示強に整合的であり
    • Maxwell関係式を満たし or 満たせるように補完でき
    • 熱力学関数の微分1形式の全成分を定義するのに十分なもの


 ところでいくつかの(要出典)教科書では、その早い段階で理想気体を次のように定義します。
 C_V \left(= T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)\right)= cNR
 p=NRT/V
しかしこれがなされるのがカルノー定理・絶対温度エントロピー原理の宣言より早い段階であるため、絶対温度については循環定義になり、またそれを仮置いたとしても、そもそも「熱力学系が定義される」ことがどういう意味なのかが曖昧となり、本当にこれで系が定まっているのか確かめようがありません。

 で、結論からいえば、(絶対温度エントロピーの定義を終えたあとである:冒頭の考え方が確立しているとして)これで確かに熱力学系が定義されています。このことを確認します。

 なお、この記事で最終的に計算される理想気体の表式はすでに
田崎先生の熱力学*1に記載されているのでそちらを読みましょう。


 理想気体の定義では T,V,Nを参照しているので、ヘルムホルツ自由エネルギー F(T,V,N)を作ることを考えます。このためには dFにあたる各成分を ddF=0を満たすように定義する必要があります。

 理想気体の定義のうち
 C_V \left(= T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)\right)= cNR
状態方程式についての条件、
 p=NRT/V
状態方程式と見なせます。熱力学関数のためには状態方程式は3つ必要なのに2つしかありません。そこでMaxwell関係式でこれを膨らまします。
 
 まず慣習的に dF = -SdT-pdV+\mu dNとおきます。これに対するMaxwell関係式 ddF=0
 \frac{\partial S}{\partial V}=\frac{\partial p}{\partial T}

 \frac{\partial p}{\partial N}= -\frac{\partial \mu}{\partial V}

 \frac{\partial S}{\partial N}=-\frac{\partial \mu}{\partial T}

です。

  Sを決めます。
 \frac{\partial S}{\partial V}= \frac{NR}{V}なので積分定数 f(T,N)を置いて
 S=RN\log(V f(T,N))
と置いてよいです。すると f(T,N)を決める必要がありますが、理想気体の定義より、
 T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)=cNR
なので、これを使ってすこし計算すると、やはり積分定数 k(N)として
 f(T,N)=T^c k(N)
と解けます。ところで、 Sは示量的であったので、 k Nの負の一次でないと困ります。結局勝手な定数 lをとって
 k(N)=lN^{-1}
です。これで
 S=RN\log(VN^{-1}T^cl)
と決まります。

  \muを決めます。同様に
 \frac{\partial \mu}{\partial V}=-\frac{RT}{V}
なので積分定数 g(T,N)を置いて
 \mu=-RT\log(V g(T,N))
と置いてよいです。 g(T,N)を決める必要があります。 \muの示強性のためには g N依存性はやはり負の一次でないと困るので
 g(T,N)=h(T)N^{-1}
とおきます。 Sはすでに決定しているので
 \frac{\partial S}{\partial N}=-\frac{\partial \mu}{\partial T}
を展開して使います。結果は
 \log h(T) + T\frac{d}{dT}\log h(T)= c\log T +\log l -1
ですが、解きにくいので h(T)=m(T)T^c l e^{-1-c}とおいてみます。すると
 \log m(T)= -T\frac{d}{dT}\log m(T)
でこれは積分定数 rとして
 m(T) = e^{T^{-1}r}
と解けます。すべて代入すれば
 \mu= -RT\log(VN^{-1}T^cl)-RT(\log l -1-c)-Rr

 結果として、 ddF = 0を満たすような dF = -S dT -p dV + \mu dNの各成分
 S= RN\log(VN^{-1}T^c) + RN\log l
 p = NRT/V
 \mu = -RT\log(VN^{-1}T^c)-RT(\log l -1-c)-Rr
が得られたため、理想気体 Fが定義できていることがわかりました。
熱力学関数は一般に2変数の不定性があるので、 r,l不定性は妥当です。

経済学的たとえ話

 ある人がいる。このひとは各種財 X= (X_A,X_B \dots)を所有している。その所有量のベクトルを x=(x_A,x_B\dots)としよう。もちろん

 x \in \mathbb{R}_+^n

だ。彼はこの Xという財の所有パターン x = (x_A,x_B,\dots)について、評価額をつける。

 S(x)

これは凸関数であると期待できる。なぜなら、あまりにたくさんの財を持っていても面白くない。しかし、欠乏していれば少しでもありがたい。だから S(x)の値は
 Xの増加に対して、最初は急に、あとで緩やかに増える。いわゆる限界効用逓減の法則というやつだ。

 さて、彼の他にも同じ種類の財の所有者がいたとする。その人も、所有する財に評価額をつけている。この二人の評価額関数を S_1(x_1)および S_2(x_2)としよう。
あるとき、二人は、お互いに物々交換をすると、いい感じにお互いの評価額の総和が上がる可能性に気づいた。

 ここで、取引参加者は常に総和を見ていることがポイントである。この二人は全体の福祉を大変重視している! 財をそのひとにプレゼントすることで、自分の所有物の評価額が減るかもしれないが、それ以上に相手の評価額が上がるならそれもよしとする人々である!すばらしい助け合いの精神!


 そこで、お互いの財を交換して、評価額を上げることにした。どのくらい取引をすると最大に達するかは、二人の S_1,S_2関数による。
財は保存的に交換されることを考えれば、二人が X_Aについて財の交換をやめるのは、


 \frac{\partial S_1}{\partial X_A}(x_1)=\frac{\partial S_2}{\partial X_A}(x_2)


が成り立つときだ。この条件がなりたつところまで彼らは物々交換をして、大変満足した。
満足したので、彼らはいつでも可能であればこのような交換取引を引き受けることにした。
 \frac{\partial S_i}{\partial X_A}を、人iAについての取引価格と呼ぶことにしよう。



 さて、こういう取引を気前よくやるひとたちが大量に集まったとする。彼らが持っている財のトータルは莫大なので、彼らと財  X_Aを少しくらい取引しても、彼らは彼らのうちですぐに他の取引をし始めて均衡に戻る。このため彼らの取引価格はちっとも変わらない。こうした集団は市場をなすと言える。つまり理想化すれば、財 X_A市場とは常に一定の取引価格でのみ取引に応じてくる。財 X_Aを取引価格 p_Aで取引してくれる市場は、いわば S_r(x_A)=p_Ax_Aという評価額関数をもつ仮想的な人のようなものだ。



 このような市場にかこまれている人は、当然自分の取引価格が p_Aになるまで即座に取引をするだろう。こういう市場に囲まれている人同士の間で、 X_A以外の財を取引しようとしたとする。このときは、取引でなにか不都合があっても、その埋め合わせを即座に市場との X_Aの取引で補償して、より円滑な取引をするだろう。だから、 X_A以外の財( X_Bとしよう)の評価額は、こうした補償を差し引かなくてはいけない。財 X_Aの価格 p_Aでの市場にいる二人が、市場を含めた全体の評価額を最大化しようとすることは、次のような量の和を二人の間で最大化することに等しい。

 \phi_i(p_A,x_B)= \max_{x_A} S_i(x_A,x_B)-x_Ap_A

このルジャンドル変換の形が、彼らが常に市場を含めた全体の福祉を考慮に入れていることによる補償項である。なんという善良な人々だ!


 さて、あなたは財の流通をコントロールする政策担当者だとする。このような善良な人々が取引をしている様子をみて、ある人の財 X_A保有量をコントロールしたいと思った。あなたは行政上の権限を使って、その人から X_A以外の財を取り上げたり与えたりすることはできるが、自由経済に守られた  X_Aをどうこうすることはできない。というか、与えてもすぐ市場との取引で原状回復するだろう。また、その人の他の財を取り上げると言っても、その人からみて、市場を含めた全体評価額を下げるような取引はもちろん応じてくれない。当然だ。これだけすべての取引で公共の福祉を優先する人に対して、全体でも損をするような取引を行政が強いてきたと知られたら、あなたの上司は次の選挙で落選するだろう。


 あなたは X_Aの価格 p_Aによる市場のもとで、この人に財 X_Bの与奪を持ちかけることで、この人が X_Aどれだけ手放してくれるかに興味があるとする。その人の X_A保有量に興味があるから、この人の評価額関数の逆関数を次のように採ったとする。

 X_{A,1}(s_1,x_B)

ここには市場もある。この人は市場を合わせた全体評価額の最大化に大変気を配っているのだから、市場の X_A補償も考慮に入れねばならない。市場の評価関数は線形だったから、これの逆関数は単に

 X_{A,r}(s_r) = p_A^{-1}s_r

である。あなたはこのひとに X_Bについて x_B \rightarrow x_B^\primeという取引を持ちかける。このひとは当然その取引の補償を、市場との X_Aの取引で行うだろう。しかもその間、 X_Aを市場と取引して、市場を含めた全体の評価額を減らさないようにするはずだ。あなたは頭を捻った結果、うまくやれば、この取引でこの人が市場に放出してくれる X_A

 X_{A,1}(s_1,x_B) - p_A^ {-1} s_1  - \min_{s^\prime}  (X_{A,1} (s^ {\prime},{x_ B}^ {\prime})-p_A^ {-1}s^ {\prime})

であるとわかる。ところで  x_ B \rightarrow {x_ B}^ \primeというのは試験的に考えた取引だ。この人が x_Bという初期値を持っているとは限らないから、もっと勝手な値をとったときにどうなるかを考えたい。だから本当に興味があるのはいろんな  x_B^ \primeについてのこの量の相対値だ。そこで

 F({p_ A}^ {-1},x_ B) = \min_ {s^ \prime} (X_ {A,1}(s^ \prime,x_ B)-{p_ A}^ {-1}s^ \prime)

という量をあなたは定義した。これは、このひとに X_Bの取引を持ちかけたときに放出してくれる X_Aの量を計算するポテンシャル関数だ。 X_Bの取引を持ちかけたとき、うまくやれば、この人は F({p_A}^{-1},-)の差分だけ X_Aを手放してくれる。


以上のオハナシで、

  • 財:示量変数
  • 評価額:エントロピー
  • 取引額:示強変数
  •  \phi:マシュー関数
  •   F:自由エネルギー

とすると通常の熱力学になります。

Fock空間で完全理解する確率過程

https://adventar.org/calendars/4000

はてなmarkdownTeXするのめんどいのでpdfにした。

 

Q. これ is 何

A. Fock空間遊びをしてたらParthasarathyの

https://projecteuclid.org/euclid.cmp/1103941122

とかがあって、「確率過程できるじゃない」となったのでその向きの計算をやってみた。Gauss過程、Poisson過程、Levy過程っぽいものを作り、そのIto公式を作ります。

 

Q. 行間ガバくない?

A. ごめん

温度

https://togetter.com/li/1343491

からもう早一月半。

今更温度ネタを書くのは旬を逃しすぎている感がありますが、 温度についてつらつら書きます。要約すると「温度は面倒」「理想気体をやめろ」の二言。

(6/18:微調整)

温度n倍事件

 これについては、温度は示強変数だぜ! で終わる話でもあるんですが、本当に「温度n倍」がだめなのか、だめなのはなぜなのかという話になると途端に面倒になります。

 世にはいろんなパラメータがあります。物理量でも他でもなんでも構いません。適当な指標を浮かべてください。で、とりあえずそれらは適当な数値の環が係数として作用できるような数値ということにします。

 この作用であるn倍は意味を持つでしょうか?

 例えば、エネルギーn倍は意味を持つでしょうか? 正整数であれば、エネルギーEを持っている系をn個用意したときのエネルギー、と言い張れる気がしますね? では分数だったら?実数だったら?n個の系を用意したらそれらが相互作用してしまったら? 一般にはn倍のエネルギーを持つ系をすぐに用意できるかわからないですね。

 例えば、情報量だったら?情報量n倍は意味を持ちますか? これも例えばある情報源の複雑さがIなら、その系の情報を記述するのに平均Iビット必要なわけです。その系を独立にn個あつめて1セットとして、その記述に必要なビット数といえばnIビットだと、言い張れますね。では分数だったら? 実数だったら? n個集めたら実はこれらが独立じゃなかったりしたら? やはりわからなくなりますね。

 それでは、電場や磁場はどうでしょうか。これは(少なくとも日常的スケールでは)意味があります。 電気工学などの初歩ででてくる「重ね合わせの原理」というのが、電場磁場の \mathbb{R}moduleとしての性質に他ならないからです。 実際これを使って場の方程式や回路方程式をうまく解くというテクニックが成り立ちます。

 では温度は?これはもう散々言われていますが「一般には」意味がありません。

 以上の例はもちろん「意味をもつ」というときの意味がどういう意味なのかが開かれているので、きちんと固定した議論はできていません。

 まずそもそも「n倍が意味を持つ」というのはどういうことか。概ね以上の直観からすると、

ある系が与えられ、その系にその量が定義されたとき、その量のn倍をもつ系を、「決まりきった自然なやり方」で構成できるか

という言い方になるでしょう。実際、古典力学系や熱力学系のエネルギーや、電場磁場はこうしたことが可能に見えます。 その系をn個複製して用意するとか、境界条件をすべてn倍する、といった操作で実現できるからです。

従って一方「n倍に意味がない」ということは、

その系のn倍をもつ系を考えることが、「決まりきった自然なやり方」ではできない

ということです。

 (例えばエネルギーなどであれば、物理系やその境界条件の数学的集合がなんらかの「加法」(直和とか直積とか)をもっていて、物理量がそれに対して加法的である、という性質をもって、n倍は意味をもつ、という言い方は比較的「自然」ですが、一般に熱力学系を用意したときに、n倍の絶対温度をもつ状態を作るには、とりあえずエネルギーを注入して温度を上げてみる他ありません)

 もちろん、そう言ったところで、決まりきった自然なやり方の程度をどう評価するか、という問題に後退しただけで 根本的に曖昧さが解決しているわけではありません。このあたりは数理的センスをバトらせる以外に合意に到達する方法はないでしょう。

 それでもセルシウス度のn倍が、この意味で「意味がない」と多くの人がみなすということは、 やはりそこに大勢の人が感じる不自然さがあるからです。10℃を100倍すると1000℃になる。これはすごい温度だ。 しかしそれより20℃低いだけの-10℃を100倍すると-1000℃、そんなものはないぞ、なんじゃそら、というわけです。

 ではそれに比べてケルビン温度は「意味がある」のでしょうか? ケルビン度はセルシウス℃から273度足したものです。ただ原点をずらしただけです。 ケルビン度のn倍は「意味がある」のでしょうか?

 そこで再び「意味がある」「意味がない」に意見が別れます。 「意味がない」派は、最初に述べたように、「示強変数だから、「一般には」意味がない」と言うでしょう。 「意味がある」派は、例えば理想気体のエネルギー関係式を例にだして、「理想気体換算で、温度n倍はエネルギーn倍にあたる」 という例を持ち出すことができるでしょう。

 これはどちらもそれなりに正しいです。しかし後者に対してまだ次のように突っ込むことができます。

 理想気体は仮想的なモデルで、厳密には存在しない。だからやはり「一般には」意味がない

 これに対して「温度からエネルギーへの単調な換算自体は、適当な物体を持ってこれば できるのだから良いではないか」とさらに反論もできるでしょう。もちろんそのとおりです。 そして「単調にエネルギーへと換算できる」なら、セルシウス度だってできます。 「理想気体が存在しなくても、線形な換算式としては意味を持つ」という見方もできるでしょう。 そしてやはり、「ただの換算式でよいなら、理想気体を媒介する意味がない」と言い返せます。

 僕としては「意味がない」派ですが、無いことを示すのは難しいのです。特に「意味」が開かれているので、 その隙間に適当な「意味がありそう」なモデルをつくって差し込まれれば、無限に議論をぶり返すことができます。

 やはり戦争をやめるためには「示強変数だから」で済ませるべきでしょう。シンプルで有無を言わせぬところがあります。

理想気体絶対温度

 さて、理想気体は、大学以前の物理=高校物理で唯一触れられ、また物理や熱力学を専門としない場合において、 大勢の人が唯一その厳密な関係式群を覚えている熱力学系と言ってよいでしょう。 熱力学の課程では、その早い段階で理想気体が取り上げられます。

理想気体とはこのような系でした。

 PV= NRT

 U = NRT \frac{k}{2}

紛らわしいですがkはボルツマン係数ではなくて、自由度とします。 つまり、圧力と体積が等温反比例関係にあり、エネルギーと温度が比例するような系です。

 熱力学系の関係式群を実験的に検証するときには、様々なP,V,N,T,Uなどの条件で計測をして 仮説と値を比較することでなされます。P,V,N,Uは力学量ですから計測する手段がありますが、 温度Tの計測には温度計が要ります。この温度は、もちろんケルビン度、絶対温度です。

 ところで絶対温度はどのように測るのでしょうか。明らかに温度と力学量を換算してくれる何かが必要です。 そこで、理想気体それ自体を温度計として使えることがわかります。あなたが理想気体を持っているなら、 その圧力を固定し、膨張体積を関係式で換算することで温度を測ることができます。

ん...?

 まってください。なにかおかしいですね? 理想気体を持っているなら? ある熱力学系理想気体であることはどのように確認すればいいでしょうか? そもそも厳密な意味での理想気体は存在しません。理想化された近似的モデルだから理想なのです。 あなたが一つも理想気体を持っていないなら、どうやってそれを絶対温度計として使えばいいのでしょうか? (細かいことをいうと、近似的にでも理想気体のように振る舞う系があったからこそ、 理想気体の関係式が発見されたので、実験科学としては別にヤバイことではありません)

 これは(経験による成立過程を無視すれば)循環論法に見えます。 熱力学の教科書を見ると、まず理想気体というものが導入されます。それは絶対温度Tを参照しています。 しかし、絶対温度Tの定義は、理想気体の関係式におけるTのように振る舞うもの、となっているように見えます。 定義が循環してしまいました。どうしたことでしょう。 これでは、「どうも温度Tというものがあるらしい」「そのTを使った気体のモデルがあるらしい」ということしかわかりません。

 実はこれはエントロピーカルノーサイクルによる論法が確立する前段階としては、正しい状況なのです。 多くの教科書において、温度Tというものは、経験的にその存在が仮定されます。つまり、なんかそういう物があるよね、ということにされます。 そして多くの人はこのことを疑問には思いません。なぜなら、我々は日常的に温度に慣れ親しんでいるからです。 日常的に慣れ親しんでいる、という程度でいえば、あらゆる物理量の中でもトップクラスに慣れ親しんでいると言って良いでしょう。 それは熱力学の黎明期の学者にとってもそうだったでしょう。とにかく、正確な定義はわからんけど、温度というものがあって、これは便利なんだ、と。

 しかし熱力学の面白いところは、この絶対温度というものに普遍的な地位を与えられる点にこそあります。しかもその定式化には理想気体を必要としません。

カルノー定理とエントロピー

 さて、実は温度自体の定義はちゃんとできるのですが、そこに到達するルートが、よく知られているもので2つあります。 それは熱力学の理論をどのように展開するか、という流儀によります。

 熱力学はある意味で「枯れた」理論です。枯れたというのは悪い意味ではなくて、 その体系がよく完成されていて普遍性があるという意味です。

 しかし完成された理論であっても、 それをどのように展開するか、というのはまちまちで、なかなか奥が深いところがあります。 理論を定理の集合と思った時に、それをすべて証明できる公理のとり方や、 その実際の示し方には多様性があるのに似ています。逆数学みたいですね。

さて、さる1999年E.Lieb J.Yngvasonによって、エントロピーの操作的公理付けというのが試みられました。

arxiv.org

これによって、

エントロピー、めっちゃ直感的じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

という喜びの声が各地から聞こえるようになったと言われています(要出典) この煽りをうけて、それぞれ最前線で活躍されている日本の研究者の方々によって、伝統的な記述から一線を画したCoolな教科書が何冊か書かれました。

  1. 熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

    熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

  2. 熱力学入門

    熱力学入門

  3. 熱力学の基礎

    熱力学の基礎

  4. エントロピーからはじめる熱力学 (放送大学教材)

    エントロピーからはじめる熱力学 (放送大学教材)

 これらが母国語で読める喜びを噛み締めましょう。  このうち、2は1に似ていて、4は3に似ています。LYの影響下とはいえ、実は1,2はエントロピーを最初に導入はしておらず、 どちらかというと経験的温度を認めて絶対温度エントロピーに至る伝統的な熱力学を、操作的観点からリファインした内容です。 3,4はエントロピーから初めていますが、残念ながらLYのエントロピーの構成自体は陽に扱っていません。 エントロピーの公理からの構成はLYの早い段階で登場し、これだけなら簡単な解析の予備知識だけで理解できるものなので、是非LYの元ネタ論文を眺めてみてください。

 なぜエントロピーの公理付けをここで紹介したかというと、実は絶対温度の定義はエントロピー概念を認めれば一瞬で終わるからです。

T^{-1} = \frac{\partial S}{\partial U}

 そして温度だけでなく、各種熱力学関数やそれらのあいだのルジャンドル変換も、エントロピーに付帯するいくつかの性質を仮定することで ほぼすべて動機づけることができます。このあたりの話は前にノートにまとめたので

http://www.asahi-net.or.jp/~fu5k-mths/pdf/abst_thermo.pdf

興味のある向きは読んでみてください。 多分↑の3.4にも似たことが書いてあります。

 なぜ温度はエントロピー導関数(の逆数)となるのか、 あるいは、なぜそのような定義が有用なのか、については、 エントロピーを第一義とする定式化からは、エントロピーは、断熱操作可能性関係を反映する加法的関数とされるから、 そして、平衡という操作が常に可能だから、と説明することができます。

 エントロピーは熱平衡によって最大化されます。つまり、 複数の系を並べて、エネルギーを保存的に交換できるようにしたとき、エントロピーは最大値をとる。 そのときの系の状態は、エントロピー導関数が等しい、すなわち温度が等しい、という条件から求められます。 すなわち、エントロピー導関数は、平衡の必要条件を記述するが故に重要であり、また定義に値するのです。

 僕個人はこのエントロピーからスタートする熱力学をとても気に入っているので、 正直これで終わりにしたいところなのですが、もうちょっと話を続けます。

 確かにこれで熱力学はきれいに展開できます。 しかし、数で言えば、エントロピーを最初に動機付けてしまう流儀はまだ少数派で、 歴史的経緯に則った、経験温度とカルノーサイクルからエントロピーに到達するほうが多数派でしょう。

 この二つの流儀はもちろん矛盾しません。どちらからはじめても熱力学は展開できます。ただ単に伝統的議論の方が、面倒でわかりにくいというだけです。

 なぜわかりにくいのか? もちろん、熱機関の思考実験がテクニカルという側面はありますが、 僕の私見としては、一見自然で導入的な絶対温度理想気体の経験的直感が、むしろ本筋を見えにくくしているのではないか、と疑っています。 理想気体はほとんどの教科書の早い段階で扱われますが、実のところ熱力学の定式化とっては、伝統的なスタイルですらなんの役割も果たさないからです。

経験温度→カルノー定理→エントロピー without 理想気体

この話(=経験温度と熱機関による定式化)は上の1.2を熟読するのがベストなのですが、ここでその概要(の1変種)を、理想気体抜きで述べたいと思います。

 歴史的にも、またこのルートの定式化にとっては本質的にも、カルノー定理は、 極めて重要な意味を持っています。なぜなら、この定理こそが、絶対温度の定義自体を可能にしているからです。

ja.wikipedia.org

最近はWikipediaの記述も適切で、わざわざブログにする意味がないね

 カルノー定理の主張は、「2熱源間の熱機関の最大効率は、熱源の温度だけできまる」ですが、この「温度」を絶対温度だとも言っていないというのが重要です。カルノー定理の真の威力を理解するには、我々が仮定する経験的温度とはそもそも何なのかというのを明らかにする必要があります。

 伝統的な定式化において、経験的な温度を認めるというとき、我々は一体何を仮定しているのでしょうか? あきらかに、ここで「何を仮定しているか」において、温度それ自体の値を参照しては循環論法になってしまいます。 したがって、温度を使って我々が経験的にできることを、外周から見てやる必要があります。

 まず、異なる物体を接触させると、エネルギーが移動し、あるところで移動をしなくなります。 こうして接触でエネルギーが移動しなくなったもの同士を再び接触させても移動しません。 すなわち、複数の熱力学系をエネルギーが交換できる状況においたとき、 非自明なエネルギーの移動が起きないもの、というのは同値関係をなします。

 この同値関係のラベルを我々は温度と呼びます。 この温度というラベルは、仮に異なったとしても、どちらか一方にエネルギーを供給することで、揃えることができます。 つまり、それ以外の変数状態が同じであれば、系のエネルギーの順序を反映した順序をもつとみなすことができます。

 これが経験的な温度のすべてです。つまり、数値ですらありません。 エネルギーの順序を反映しているのでエネルギーでいいような気もしますが、エネルギーは示量的な一方、温度は示強的ですから、 エネルギーともまた異質なものです。

 この経験的な温度とはそもそも数値ですら無いことは十分に強調すべきです。実際、伝統的な熱力学のわかりにくいところは、経験温度を、数値換算した上で導入してしまっている点にあります。 

 よく考えてみてください、平衡同値関係の商としての温度の存在は認められるでしょう、一体どうやってそれを数値換算したのでしょうか? エネルギーに対して単調かつ示強的ですから、例えばT=a U/Nとでもすればよいのでしょうか? しかしなぜT=a(U/N)^5ではだめなのでしょう? あるいはT=\log(U/N)では? このようにいくらでも「換算」はできますが、この時点ではどれを選ぶ必然性も無いのです。もちろん、温度の数値換算が定まっていないこの段階で理想気体を参照すれば当然循環論法になります。しかし、カルノー定理を使えば、温度に必然性のある値を割り当てることができます。

 以下、この平衡同値関係商としての経験温度を、便宜的に抽象温度と呼ぶことにしましょう。

 さて今の所、温度とは、単なるラベルに過ぎないとわかりました。しかしこの状態であっても、カルノー定理は成り立つのでした。

すなわち、 X_0,X_1 ,Y_1,Y_0なるカルノーサイクルで、X_0,X_1が抽象温度tY_0,Y_1が抽象温度sの等温過程であり、他が断熱準静であるとしましょう。 カルノー定理は次を主張します。等温過程の最大吸熱量をQとしたとき、

\frac{Q(s,Y_0,Y_1)}{Q(t,X_0,X_1)}は、この物質の組成および X_0,X_1 ,Y_1,Y_0にも依存しないs,tだけの関数f(s,t)である。

これは極めて普遍的、かつ温度の定義について本質的な主張です。 tを固定して抽象温度sの「数値表現」g(s)

g(s)=f(s,t)

としてみましょう。こうすることで、温度を数値に換算することができます。f(s,t)カルノー関数とよばれ、 物質の組成にもサイクルの端点にもよらず、しかも熱機関の最大効率(これは吸熱比で決まります)という操作的意味まであります。

 温度が普遍的な数値表現をもつことによって、個々の系にたいしてより詳しい解析ができるようになります。任意の熱力学系Xをとったとしましょう。 すでにXの状態には抽象温度はついていますが、これをさらに上の数値表現を通すことで、温度関数T(U,V)=g(s)=f(s,t)が得られます。ここで、(U,V)の抽象温度をsとします。 ところで、熱力学第一法則は、微分形式で書くことができました。それは、準静過程をとったときの、吸熱量を

Q = dU + pdV

と書くものでした。ここで、系Xのカルノーサイクルを考えます。カルノーサイクルにおける断熱過程の部分では

dU = - pdV

が常に成り立ちます。従って、線積分

 \int \frac{Q}{T}

は断熱過程の部分ではゼロです。一方で、等温過程の部分では

 \int \frac{Q}{T}=\frac{1}{T}\int Q

です。ところがカルノーの定理から、温度は吸熱量を使って定義したのですから、二つの等温過程でのこの積分は相殺します。結局カルノーサイクル一周で

\int_C \frac{Q}{T} = 0

です。

 この議論をあらゆる細かいカルノーサイクルで行うことで、この系の相空間をカルノーサイクルのなす微小方形で埋め尽くすことを考えます。 もし以上の関数たちがある程度たちのよいもの(可微分性とか)であるなら、ストークスの定理から 任意のカルノーサイクルの囲む相空間の微小面積要素で d(Q/T)の面積分はゼロ、すなわちd(Q/T)=0であり、 相空間の単連結性を仮定すれば、dS= Q/TとなるSが存在します。

 これは温度が熱形式の積分因子であることを意味します。 そしてこの時のSエントロピーに他ならず、 カルノー定理の背景にある操作的仮定がエントロピー原理に翻案され、熱力学が完成します。

 くどいですが、以上の議論にはどこにも理想気体は登場しないことに注意してください。温度が定義でき、そこからエントロピーが定義できることは、 カルノー定理からくる帰結であって、理想気体はその関数の一例を提供するにすぎません。結局理想気体は熱力学の定式化には役に立っていないのです。

 よくある「理想気体絶対温度計の役割がある」というのが不正確であることも以上から了解できるでしょう。先に触れたように、理想気体理想気体温度を定義しただけでは、定義の循環によって、そもそも理想気体であることを確認できず、適当な物質についてT=VP/NRと「宣言」するしかありません。もちろんこれでも(Pを固定すれば)「数値ラベルの」抽象温度計としての役割は果たすでしょうが、数値としてはカルノー定理からくる絶対温度には(近似的にしか)一致しないでしょう。なぜならそもそも理想気体は存在しないからです。そして絶対温度に一致する必要がなく、ただ抽象温度に数値を割り当てたいだけなら、理想気体の関係式を採用する理由がそもそもありません。それならT=(VP/NR)^3と定義してもよいはずですし、そもそも関係式を固定したところで、物質を変えれば数値も変わってしまうでしょう。

 したがって、(伝統的な定式化では)絶対温度に先行してまずカルノー定理があります。カルノー定理が前提とするのは、いくつかの操作的仮定とケルビン原理、そして抽象温度=平衡の同値関係です。カルノー定理によって定義可能となる絶対温度を用いることで、理想気体が循環することなく定義できます。

 熱力学の発展史上、カルノー定理やエントロピー概念への到達がいかにウルトラC級の飛躍だったのかというのを思わせます。すごいですね。

おしまい。

外積代数規格化戦争

 巷では外積代数/微分形式/グラスマン代数が流行っています(局地)

そこで微分形式、というかそのファイバーの外積代数をちょっと思い出すぞムーブメントが発生するわけですが、いろんな本、ないし使用例での外積の定義を見ると、どうも係数が違うぞという気づきがあります。

 これは、ぶっちゃけると、ある種の目的に関しては外積をどう定義しようがどうでも良い側面があるため、各位が思い思いの定義を取ってしまうのです。これにより読者は混乱させられ、疲弊し、そうこうしているうちにあっという間に人生が終わってしまう。

 そのような損耗を避けるために、一体全体どんな流儀がどこで使われ、なんでそんなことになっているのか、という考察をまとめておきます。

 まず外積代数を定義します。有限次元線形空間Vを用意し、これのnテンソルの直和代数としてのテンソル代数を構成します。

T(V)=\oplus_n V^{\otimes n}

そこで\{v\otimes v| v\in V\}が生成するイデアルIによる商代数を \wedge (V) = T(V)/Iとします。これが外積代数です。

 外積代数に\wedgeなる双線形積(外積)を定義しましょう。ここからが問題です。一応商代数として作ったので、現時点でq:T(V)\rightarrow \wedge(V)自然な全射準同型があり、これに整合するような\wedge(V)上の積がすでに一つあるのですが、いくつかの事情によってこれ以外の定義も採用する場合があるのです。ここでは3つの定義を見ます。

 少し準備をします。次のような反対称化作用素を用意します。

 A=\oplus A_n, A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)= \frac{1}{n!}\sum_{\sigma}\mathrm{sgn}(\sigma) v_{\sigma(1)}\otimes v_{\sigma(2)}\dots v_{\sigma(n)}

 これはちょうどイデアルIを核にもつことがわかります。\wedge(V)の元は、集合論的構成では \phi+Iのような形になっているので、ここにAを作用することで代表元を一つ取り出すことができます。この写像単射です。したがって、\wedge(V)の実体を、商集合ではなくて、\mathrm{Im}(A)と考えてもよいことになります。これは、各項の入れ替えに対して反対称であるような要素の張るT(V)の部分空間と思ってよいです。とくに、外積を定義する際、A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)のような要素に対してのみ定義し、それを拡張するとしても十分になります。

 では定義を始めましょう。

1. 元のテンソル代数に対して自然なものにする。

 A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)\wedge A_m(v_{n+1}\otimes v_{n+2} \dots v_{n+m})=A_{n+m}(v_1\otimes v_2 \dots v_{n+m} )

このとき、テンソル代数上では

v_1\wedge v_2 \dots v_n = A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)

となります。

メリット:

 これは外積代数の構成時の全射準同型にとってはもっとも自然なものです。自然なので検算が容易です。今全射準同型はAにほかならないので、これは\otimes\wedgeをそれぞれの構造射とみたときに代数準同型になるものです。

2. 内積からくるノルムに対して自然なものにする。

 A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)\wedge A_m(v_{n+1}\otimes v_{n+2} \dots v_{n+m})=\sqrt{\frac{(n+m)!}{n!m!}}A_{n+m}(v_1\otimes v_2 \dots v_{n+m} )

このとき、テンソル代数上では、

v_1\wedge v_2 \dots v_n = \sqrt{n!}A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)

となります。

メリット:

 もし、V内積が入って居た場合、それについての正規直交基底\{e_i\}_iに対して、

 \{ e_{ i_1 }   \wedge e_{  i_2  } \dots e_{  i_k }  |  i_s  \lt  i_{s+1} \}

は、正規直交になります。すなわち、直交性が成り立つ場合に、単位ベクトルの積が再び単位ベクトルになります。この意味で、内積からくるノルムが重要な役割を果たすとわかっている場合には、この定義が有用になります。

 具体的にはフェルミオンフォック空間はこの積による外積代数をなします。

3. テンソル成分計算に対して自然なものにする。

 A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)\wedge A_m(v_{n+1}\otimes v_{n+2} \dots v_{n+m})=\frac{(n+m)!}{n!m!}A_{n+m}(v_1\otimes v_2 \dots v_{n+m} )

このとき、テンソル代数上では、

v_1\wedge v_2 \dots v_n = n!A_n(v_1\otimes v_2 \dots v_n)

となります。

メリット:

 もし、あなたが何らかの古典場理論をやっているとして、微分形式で書かれている量を、反対称化されていなくてもよいただのテンソル場に戻して計算する必要に迫られたとしましょう(古典場の理論とか)。

このとき、その微分形式は次のような成分表示をもつはずです。

 F= \sum_{i_1 \lt i_2\dots i_k} f_{i_1,i_2\dots i_k} dx^{i_1}\wedge dx^{i_2}\dots dx^{i_k}

あなたはこれをただのテンソル場として見做したいと思っています。つまり、知りたいのはdx^{i_1}\otimes dx^{i_2}\dots dx^{i_k}の成分です。外積ではなくテンソル積です。ところが

 dx^{i_1}\wedge dx^{i_2}\dots dx^{i_k} = \sum_{\sigma }dx^{i_{\sigma(1)}}\otimes dx^{i_{\sigma(2)}}\dots dx^{i_{\sigma(k)}}

であるので、実はdx^{i_1}\otimes dx^{i_2}\dots dx^{i_k}成分は f_{i_1,i_2\dots i_k}そのものです。つまり、外積代数の反対称性を単に忘れるだけでテンソル成分の正確な計算ができます。

で?どれを選べばいいの?

 どれを選んでも一長一短なので諦めましょう。