(幾何厨としての)信仰告白

まず、関心のある系があります。

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これは絶対的なものです。なにか知らないがとにかく"在り"ます。 しかしあるだけでは地上の民の我々にはまったくそれに触れることも知ることもできません。 我々は、いくつかの馴染みのある(数学的)構造を持っています。例えばユークリッド空間などですが、他にもあるでしょう。 そこで、天界におられる系に、我々の良く知っている構造に降りてきて頂きます。

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自明化

この写像、天界からの使い、使徒たちを、成分表示だとか、自明化だとかいいます。 こうして我々は馴染みのある構造に天界の系の影を見出すことができます。 系はとても複雑ないし大きなものであられることがあり、こうしたことは、系全体でなく、一部について行われることもあります。 まことに天界の系は大きなお方であり、使徒達を通じたとしても、私達にはその姿を一望できるとはかぎりません(一望できることもあります)。

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部分的な自明化

天界の系は、まことに精妙なことに、私達がそれに見出そうするさまざまな振る舞いを持っています。あるものは代数構造を持っています。あるものは、また他の系との派生関係や写像をもっています。自明化はそうした系の方々のお姿も私達に示してくださいます。このようにして、我々は天界の系のお姿を、地上の物事の振る舞いを通じて、さらによく知ることができます。

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構造

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構造

私達が天界のこうした振る舞い、代数構造、派生構造、関係について述べる時、私達は畏れ多くも、それを「定義する」と呼びます。 このようなこと我々がするのは、やはり我々が直接触れるものが、地上のものに限られるからです。 私達は天界の系の関係や性質をよりよく知るために、その模造物(👆の N,Mなど)を地上で作り上げる必要があるのです。 その模造物が天界の系をよく反映するように、上記のような可換性を要求します。これは準同型性だとか関手性だとか呼ばれているものです。

ここで、重大な真理があります。系のお姿を我々にお示しくださった自明化 \Phiは、ただ一つのものではないことがあります。天界の系はただ一つの方ですが、それが我々の目に映る時は、一般にさまざまな姿をとられます。

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異なる姿

彼らは私達に系のお姿を知る機会をもたらしますが、また、系のお姿を誤って見せうるものでもあります。私達は、こうした自明化たちに正しく向き合い、系のお姿を正しく捉える必要があります。自明化が私達に見せたユークリッド空間の影は、まさに影なのであって、影そのものをいかに凝視しても、系の真のお姿はそこにはありません。

幸いにも、自明化達は、ある構造をもっています。それは私達が群と呼んでいるもので、しかしそれ自体は群ではありません。自明化たちは、群が推移的に作用することができるものです。つまり、ある自明化を群の単位元に対応させた時、他の自明化がすべてその群の元として相対的に決まるようになっています。このような群を構造群だとか、ゲージ群だとかよび、ある場合には、自明化達のことを主束と呼びますが、ここでの考え方はゲージ理論に限ることではありません。このような見方は至るところに見いだされ、実質、私達が天界に向き合うにあたって、このことから逃げることはほとんど不可能でしょう。

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構造群

私達が天界の真理を知るためには、こうした自明化たちを振る舞いを取り除く必要があります。自明化たちを切り替えた時に、それが群で書かれる、ということは、つまるところ、私達が作っている天界の模造物には、群が作用するということにほかなりません。

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群作用

しかしながら、この群作用は、私達が自明化の使徒達を介して天界を仰ぎ見るときの、単なる見方の違いに過ぎません。この群は、系それ自体には作用していません。

私達は、天界の振る舞いを知るために、天界が持っている構造や関係や派生構造について、それらの地上の模造物を「定義する」ことを試みます。

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地上の模造物

しかし、すでに見たように、自明化 \Phiは、天界の姿を多様に変化させて、私達に見せようとします。私達は天界を仰ぎ見るにあたって、それらの変化を割り引く必要があります。つまり、自明化を相対化する必要があります。ここで、私達にできることの、2つの両端があります。

ひとつは、 Nを、自明化に完全に依存させることです。今現在、天界のお姿を我々に示している自明化 \Phiがなんであるかを完全に把握した上で、それぞれの自明化ごとに、模造物の演算 N_\Phiを次を満たすように作るというものです。

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各自明化の間の関係

これは確実に動作しますが、とても骨が折れる作業です。当初の自明化 \Phiと異なる自明化に対して、いつでもそれを計算する用意が求められます。つまり、 g\in Gに対して、すべての N_{g\Phi}を計算する必要があります。例えば、直交座標で定義したラプラシアンを、任意の座標系で計算しようとすることを考えてみましょう。

もう一つの問題点として、今現在参照している自明化が、本当に \Phiなのか?ということを、私達が知ることが不可能だという点です。それはニュートン的絶対座標のようなもので、ある種のものは、事実不可能です。私達は、自明化の使徒の名前を知ることができず、ただかれらの階級とその群構造についてだけ知ることができます。

逆方向の極限は、最初から、ただ一つの Nを定義するということです。つまり、自明化に作用する表現 \rho(g)達にたいして、次が成り立つものだけを考えます。これは、まさしく天界がそのようなものを自然に備えているとき、しばし可能になります。これは自然変換だとか、intertwinerだとか呼ばれています。

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intertwiner

このようなことができるとき、間違いなくそれは天界の秩序を示しています。しかし、こうしたものは一般には希少です。私達は畏れ多くも、地上の模造物から得た着想の、天界での対応物を知りたいと思うことがあるでしょう。しかしそうしたものが、この形で得られる保証はありません。

幸いにも、私達はこれらの折衷的なことができます。自明化の使徒たちに階級が存在し、その階級が構造群の部分群として現れることがあります。例えば、平坦な多様体の接束において、一般の座標系からくる成分表示はすべての自明化です。それらは可積分な局所GLを構造群にもちます。そのうちで、直線座標からなる部分を取ることができます。それらは大域的なGL(n)を構造群に持ちます。さらに、計量をつかって、直交座標からなる部分を取ることができます。それらは大域的なO(n)を構造群に持ちます。

すなわち、次のことをするのです。まず、自明化の階層を把握します。

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自明化の階層

そして、  \Phi_j , j \in \Sigmaについてだけは、 Nをただひとつのものになるようにし、 それ以外の \Phi_i i \in \Lambda , \notin \Sigmaについては、 \rho(g)それ自体を使って定義します。

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intertwiner/手動定義の折衷

例えば、我々はユークリッド空間のラプラシアンを、任意の直交座標にたいして同一の定義で与えます。それは実際に一致します。しかしそれ以外の座標系については、泥臭い座標変換を実行します。

また例えば、ニュートン力学が、絶対座標系を知ることなく、ただ慣性系であれば、運用することができたのも、また、その運動法則が、慣性系においてのみ不変であるのも、こうした折衷によるものと言えます。つまり、ニュートン力学における Hとはガリレイ群だったということです。そこで、私達は様々な力や運動を、慣性系についてだけ定義すれば良くなったのです。慣性系においては、力は、0を原点として加法性が成り立ちました。非慣性系においては、慣性力が原点となるため、加法性が成り立たなくなりますが、そのことは計算によって確かめることができます。

以上が幾何厨の信仰告白です。要約すると以下のようになります。

  • まず、天界に系があります。
  • それを私達がユークリッド空間の要素であるかのように扱えるのは、ひとえに自明化の御業によるものです。
  • しかし、自明化は一意的ではなく、また極めて多様に行うことができます。
  • したがって、我々が、天界の何かを定めて操作するためには、その定義時に参照している自明化を固定するか、または、その定義が自明化に依存しないことを確認しなくてはなりません。
  • 自明化が、その構造群に基づく階層構造を持っていれば、ある部分については自明化に依存しないようにさだめ、それ以外については、直接計算する、という折衷をとることができます。我々は直線座標や直交座標を都合よく採用することで、これを無自覚に行っています。
  • この「自明化を相対化する」という作業は、 絶対に、絶対に、絶対に、避けることができません。すべての人が背負っている原罪です。

さて、この点を考慮に入れた上で、度々見られる次のような軸性ベクトルの導入が、幾何厨の信仰に著しく反したものであることを説明できます。

三次元ベクトル V, W 外積を、その成分について (V \times W)^i = \epsilon_{ijk}V^j W^k としたとき、パリティ反転にたいして、外積の成分は変化しない。このようなものを軸性ベクトルとよぶ。

敬虔な幾何厨からみたとき、これが以下に間違っているかを述べましょう。

  • 三次元ベクトルは天界におり、成分表示は、なんらかの自明化によるものである。
  • ベクトルであるから、この自明化の構造群は GL(3)である。
  • 外積を三次元ベクトルの、天界の演算として定めようとしている。
  • この定義をある自明化について (V\times W)^i = \epsilon_{ijk}V^jW^kであるとした。
  • この定義は、 SO(3)\subset GL(3)については、不変であるが、他では不変ではない。
  • 自明化のパリティ反転を行ったならば、パリティ反転は \notin SO(3)であるから、計算規則は不変ではない。

この議論の罪深いところは、不遜にも、地上での成分の計算規則を、天界の演算そのものだと誤認したことにあります。成分によって計算できるのは、天界に居られるベクトルの、地上での模造物であり、それが天界の構造を反映していることを保証するためには、自明化を相対化しなくてはならない。しかしこの者は、 (V\times W)^i = \epsilon_{ijk}V^jW^kという計算規則が立脚している自明化を相対化することなく、その不変性が保たれないような自明化の入れ替えを行い、それについて誤った解釈をしました。このものが見た軸性ベクトルとは、自明化の使徒が見せた亡霊にすぎず、天界にはそのようなものはないのです。