インボイス制度問題についての覚書

何が起きているか

まず議論の余地のない側面について:

課税事業者は、消費者等との商取引の売上のうち、10%を消費税として支払う。 その一方で、彼らは仕入れや経費においても課税事業者から税込みで購入している場合が多いため、 二重課税を避けるために、経費や仕入れの課税分は差し引きした上で、残りの部分、 ざっくり言って該当事業者の事業による付加価値分の課税額を収める事になっている。

これを仕入額控除という。

一方、免税事業者はこのような義務は課されていないので、納税義務も、仕入額控除も発生しない。

インボイス制度は、形式的には、こうした商取引の請求書に、その適用税率や税額などを記載するフォーマットを定め、 それによって仕入額控除を行うという手続きを強制するものである。この請求書自体がインボイスと呼ばれる。

したがって、制度が導入されると、インボイス以外の請求書や明細による仕入額控除ができなくなる。

仕入額控除計算のためにインボイスを使うのだから、 課税事業者がインボイスを受け取ることを強制する(インボイスを持っていなければその額の控除をできなくする)のは妥当である。 ところが本制度は「インボイスの"発行"が課税事業者しかできない」という設計になっている。 これが本件の(最大の)問題点である。

インボイス導入前であればこのような制限は無いので、免税事業者への発注に際して支払った金額についても、発注側は控除に利用することができた。 このときはインボイスとは限らない適当な明細や請求書を用いる。

この場合の課税仕入れとは、事業のために他の者から商品などの棚卸資産仕入れのほか、機械や建物等の事業用資産の購入または賃借、原材料や事務用品の購入、運送等のサ-ビスの購入などをいい、その課税仕入れに係る相手方が課税事業者であることを要件としていません。

No.6455 免税事業者や消費者から仕入れたとき|国税庁

免税事業者はそもそも税金を納付しない一方で、免税事業者からの仕入額控除は可能なのは不思議に見えるが、課税事業者の課税はその付加価値に課されているという原則を考えれば自然な状態である(免税事業者からの仕入額控除できなければ、「付加価値に課税」した場合より課税事業者の税が重くなってしまう)。しかし、インボイス制度が実施されると、これが不可能になる。

具体的に見よう。免税事業者が課税事業者から受注した場合(課税事業者のほうが大手であるので、このシチュエーションは一般的と考えられる)を考える。免税事業者は課税事業者に向けて請求書を発行する。

しかし、制度上この請求書はインボイスではない。つまり、発注側課税事業者は、免税事業者からの仕入れを行った場合、その仕入額控除ができなくなる。したがって、発注した課税事業者は、その仕入額×税率分損をすることになるので、そもそもの発注価格を下げようとするか、免税事業者ではなく課税事業者に発注しようとする動機が発生する。大きくわけて3パターンのもっとも極端な可能性がある。

  • 発注側の値下げ要求を全面的に受け入れた場合、受注免税事業者は、おおよそ発注事業者の控除額の課税額分売上が減少する。これはつまり、免税事業者でありながらも事実上の免税事業者ではなくなってしまうことを意味する。しかも免税事業者は仕入れ額控除も行っていない(そもそも納税義務がないので)から、そのままでは二重課税状態となり、最も損をする。

  • 発注側がインボイスによる仕入額控除ができるように、免税事業者が課税事業者に転換した場合、当然消費税を収める必要が出てくるため、免税事業者という立場を手放すこととなり、やはり収入は減る。

  • 価格に転嫁せず、免税事業者が割引を拒否する場合、発注側課税事業者がこれまで通りの価格で発注するにも関わらず仕入額控除を使えないこととなり、(受注側の売上は変わらないのに)発注側は発注額の課税額だけ損をする。あるいはそもそもの取引機会を失う。

現実には交渉によってこれらのケースの中間が起きることになるが、いずれにせよ、免税事業者との商取引に対する暗黙の増税となる。

逆に、課税事業者が免税事業者から受注した場合には、インボイスが発行されるものの、免税事業者はそもそも免税されているからこのインボイスは控除の役には立たず、なにも関係が無い。

同様に免税所業者同士や課税事業者同士でもやはり変化はない。前者はこれまでもこれからもインボイスを発行できないし非課税だから控除もしない。後者はインボイスという新フォーマットに移行する必要はあるものの、それを除けばこれまで通り課税されていて控除も使える。

自分の見解

主張

免税事業者も少ない負担でインボイスを発行できるように整備するか、そもそもの消費税を減税すべきである。

詳細

インボイス制度の目的として、おそらく次の2つが挙げられる。

  • フォーマットを固定することによる消費税額の計算や把握の円滑化
  • 益税 の撤廃

前者については特に議論する点はない。請求書に限らず、商習慣を合理的に規格化し、円滑化することは基本的に良いことである。 一方、後者の益税について、これが存在するのか存在しないかという議論がある。 この両方に触れておく。

益税は存在しない説

まず益税がどのような定義なのか、軽くググってみよう。

消費者が支払った消費税が国や地方自治体に納められず、事業者の手元に合法的に残ること。中小事業者に対する特例として、売上高5000万円以下の事業者の納税事務負担を軽くする「簡易課税制度」や、課税売上高が1000万円以下の事業者の消費税を免除する「事業者免税点制度」で、益税が発生する。

益税とは - コトバンク

益税とは、国庫に納入する物として事業者が消費者や顧客から預かった税を、納入せず事業者の利益としたもの。

【東建コーポレーション】益税|税金用語集

つまり、消費者(発注者)から預かった消費税を納入していない状態を指している。

この益税概念は字義通り読むと少し奇妙なことになる。

まず、消費税の課税対象は、あくまで金銭を得た受注側の事業者である。

消費税の課税対象は、国内において事業者が事業として対価を得て行う資産の譲渡等および外国貨物の引取り(輸入取引)です(注)。

No.6105 課税の対象|国税庁

これは消費税があくまで売上に課されていることとも整合する。どういうことかというと、 受注側が消費者や発注側に価格を提示し、それを支払って取引が成立したとして、 そのことは「その金額の1/11を事業者が納税することに合意した」ことを 意味しない ということである。

たびたび引用される判決は、例えば以下。

「…消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部としての性格しか有しないから、事業者が、当該消費税分につき過不足なく国庫に納付する義務を、消費者との関係で負うものではない」

判決確定「消費税は対価の一部」――「預り金」でも「預り金的」でもない|全商連[全国商工新聞]

言い換えれば、消費税という概念が発生するのはあくまで売上に対してであって、消費者や発注者の支払いではない。 仮に購入した商品の値札に消費税の内訳が書かれていたとしても、それを買って支払った段階では、消費税は発生していない。 発生していないのだから(どれだけ消費者が消費税を支払ったつもりでいようとも)、事業者の売上は、消費税の預かり金ではありえない。

つまり 「消費税の預り金」というのは自己矛盾した用語 である。

また、そもそも益税が問題になっているのは免税事業者についてであるが、言うまでもなく免税事業者なのだから、 彼が消費税を納付しないのは定義上当然のことである。したがって 「免税事業者の益税」というのもまた矛盾した用語 であり、 そもそも免税事業者相手の商取引(免税事業者が金銭を受け取る場合)において、いかなる消費税概念も発生しない。

こうした事情のため、益税の法的・会計上の地位は実は曖昧である。支払った金銭に課税されるのは売上としてであり、免税事業者ならそもそも課税もされない。 仮に小売店の値札に110円(税込み:税10円)のように書かれていたとしても、結局店の売上は110円であり、それ以上でもそれ以下でもない。 このような表示を見た時に「私こと消費者が支払い額から10円の消費税を納付するように販売店に確約した」と思いこむのは自意識過剰なのである。 結局益税という概念は消費納税のプロセスにおいてどこにも出現しないのだ。

益税は存在する説

では、益税という概念には全く実体がないのか?というと、もちろんそういうわけではない。これは至極簡単な話である。

仮に、全く同じ事業/仕入れ/売上を行っている2つの事業者があり、一方は課税事業者、もう一方は免税事業者だとしよう。 この2つの事業者は消費税について次のように振る舞う。簡単のため税率を10%に統一して考える。

  • 課税事業者は売上額 - 仕入額の1/11を納付する。
  • 免税事業者は納付しない(仕入額控除もしない)

売上をX、仕入額をYとしたら、課税事業者は10/11(X-Y)の利益となり、免税事業者はX-Yがそのまま利益となる。 したがって、全く同じ条件で免税事業者と課税事業者を比較すれば、免税事業者のほうが1/11だけ有利である。 これは当然のことであり、もしこうなっていなければ免税事業者という名前自体がふさわしくないだろう。

"益税"をどう解釈するべきか?

益税が存在するという説は、要するに 免税事業者は免税されている分収入面で有利であるという自明な主張 に過ぎない。 そして益税がこの意味でしかないなら、もちろん益税は(免税事業者という区分が存在する以上)存在する。 そしてまさしくインボイス制度は免税事業者の立場を間接的に破壊することによって益税を抑制するだろう。 何も難しいことはなく、益税を敵視するというのは、免税事業者の"免税特権"を敵視することそのものである。

しかし、この益税概念を どのように受け止めて解すべきかについては、免税存在しない説をきちんと踏まえる必要がある。

というのも、益税に対する敵意には、この点を不当に解釈したものが度々見られるからだ。

すでに述べたように、免税事業者への発注ないし免税事業者からの購入および金銭支払の段階では、消費税は発生していないし、消費税支払いの確約もしていない。

もしそのように思えるのだとしたら、それは消費者/発注者が勘違いしているか、騙されているだけである。消費者はその名に反して、免税事業者にも課税事業者にも、一円たりとも消費税を支払ってなどいない。事業者は単に、自身が払う(または払わない)であろう消費税を見越して、適当な販売価格をオファーしているだけで、それは全額が対価である。

課税事業者が免税事業者に発注した場合に、仕入額控除として発注額の課税額を計算するとしても、課税事業者に適切な税を課すための計算に過ぎず、「免税事業者がここで計算された仕入額控除税額を納付している」ことを意味しない。

したがって、「発注者や消費者が支払った消費税を収めていないのだから、益税は不当であり撤廃すべきだ」というのは単に間違っている。

「我々消費者や発注者が、免税事業者に消費税を払った」ことなど一度もないのである。

こうした言い方は、払ってもいない税を着服しているという冤罪をかけている。

免税事業者が消費税を納めないのは、ズルをしているのではなく、最初から免税を前提とした価格をオファーしているのだ。 免税を前提とした場合のほうが課税を前提とした場合よりも、余計な出費がない分、高品位な仕入れや人件費に回すことができるのだから、発注者・消費者は免税事業者とともに、すでにその恩恵に預かっているのである。 決して免税事業者だけが免税という恩恵を独占しているわけではない。仮にそう思えないとしても、もし免税事業者が業態をそのままに課税事業者に転換したならばこの恩恵は失われ、双方が損をするのだから、それはあなたが気づいていないだけである。

その一方で、免税事業者が、請求内訳として消費税を記しているにもかからわず、実際には税が発生しないというのが混乱を招いているという意見はあり得る。 つまり、免税事業者が「x円で売ります」「このうちy円は消費税です」とオファーしてきた場合、消費税が自分に課されていると思いこんでいる哀れな消費者が騙されてしまい、総額を多少高いと思っていても支払ってしまうかもしれない。 免税事業者が消費税が発生するかのような請求を行うことがあるのは何故か、そしてそれは道義的にどうなのかという点については別の側面から検討が必要だろう。

例えば、

免税事業者は、取引に課される消費税がありませんので、「税抜価格」を表示して別途消費税相当額を受け取るといったことは消費税の仕組み上予定されていません。 したがって、免税事業者における価格表示は、消費税の「総額表示義務」の対象とされていませんが、仕入れに係る消費税相当額を織り込んだ消費者の支払うべき価格を表示することが適正な表示です。

消費税における「総額表示方式」の概要 : 財務省

つまり、免税事業者は仕入額控除ができないため、完全な意味での免税状態にはなく、これを価格に転嫁しておくというのはひとつのロジックとして成り立つ。 ただし通常仕入額 < 売上額になるはずなので、このロジックでは仕入額の割合を超える分の消費税を正当化できるわけではない。

いずれにせよ、免税事業者にとっては税込/税抜価格という区分自体が意味をもたない。

益税概念はサルベージ可能か?

益税を「発注者や消費者から受け取った消費税を留保したもの」と解釈することは間違っていると述べた。 では益税をどのように理解するのが適切なのか? おそらく益税という名称に込められた本来的な意味は、「免税事業者が免税されていることによる利益」 だと思われる。 では、 この意味での益税を、具体的な数値として計算することはできるだろうか? つまり、免税事業者の収支の情報から、 「この事業者は課税されている場合よりもx円得している」という値を算出することができるだろうか?

先の益税概念の説明では、全く同じ事業を実行する免税事業者と課税事業者を比較した。その結果、免税事業者は課税事業者よりも利益の面で1/11有利となった。 これはつまり、「免税事業者は、たとえ課税されていたとしても、全く同じ事業を行う」と仮定しているに等しい。 これはどう考えても非現実的な仮定である。 なぜなら、事業者は事業者自身に課されている課税計算方式に鋭敏に反応するはずで、 課税されているとわかっているならそれを前提とした事業計画を立てるはずだからである。

そうなると、ある期間における免税事業者の収支から、「課税されていた場合の収支」を計算しようとしても、 推定以外にはやりようがない。例えば、事業者の行動性向をモデル化し、効用関数を推定し、課税した場合の振る舞いを予測し....と言った具合だ。 これは現実的精度で実行するのは到底不可能であるし、会計計算をこのような不確実なやり方で実行したらメチャクチャになってしまう。

会計計算上は、益税というのは計算しようがない。 これが「益税が存在しない」ということの本当の意味である。

免税事業者は課税死荷重を回避できているから、免税事業者とのやり取りでは、 事業者および消費者共に利益を得ている。ここまでは均衡の一般論として結論できるし、だれも否定してはいない。

だが、具体的に免税事業者がこうした死荷重回避によっていくら得したか、そして消費者・発注者 いくら得したかは、 現実に観測可能な数値からは計算しようがない。だから会計上は益税という値は出てこないのだ。 現実の数値からは計算も決定もできないのだから、存在しないもとのして扱いざるを得ないのである。

原理的に計算も決定もできない以上、「免税事業者はy円得している」という言説はすべて不正確な推定に過ぎないといえる。

そしてこれが厄介な現象をもたらす。つまり、政治的立場として益税を敵視する人間は、免税事業者の行動性向について、都合の良い仮定をおき、この値を可能な限り大きく見積もることで、課税死荷重回避による利得を事業者が独占していると解釈したがるだろう。 これがまさに「免税事業者は消費者が払った消費税を着服している」という誤解において起きていることなのだ。

こうした「益税」の過大評価からくる批判は、そっくりそのまま彼らに返ってくる。というのも、以下に述べるように、課税は本来事業者と消費者の双方に損失を強いるものであり、免税とはその裏返しで、双方が利益を得ているからである。消費者側の「益税」を無視し、事業者側の「益税」だけを敵視し、それが撤廃されたことによって消費者も損をするからだ。

免税事業者と課税事業者の公平性を議論したいのなら、益税概念はあくまで「免税事業者は免税されている」以上でも以下でもない ことを理解する必要がある。

課税による損失について

免税事業者が免税される状態が撤廃され、事実上課税状態になるとどうなるかについては、典型的な経済学のトピックとしてあるように、 供給曲線の上シフトによって、いわゆる過剰負担/死荷重が発生する。つまり、課税は事業者と発注者の双方に損失を強いる。

もちろん、課税事業者との取引についてはインボイス以前からもこの損失は発生していたわけであり、 そこに小規模故に死荷重を逃れていた免税事業者が更に仲間入りするということである。

これは一見公平になるように見えるが、そもそも免税事業者が実質課税事業者に転換したところで 誰も得をしていない。 免税事業者は収益が上がりにくくなり、発注側は免税事業者への発注コストが上がるだけである。 「免税事業者はズルい。彼も等しく課税されるべきだ」というのは心情的には理解できるが、その結果として引き起こされる状況は誰の得にもならない。 免税事業者と課税事業者の扱いの違いが何らかの歪みをもたらしている可能性はあるが、 免税事業者はそもそも規模が限定されており、一方的に収益を増やすこと自体が不可能であるからこれも限定的だろう。

免税事業者が課税転換して消費税を収めるようになることで税収増を期待するかもしれない(算出方法にもよるが千億ほどと推定されている)。しかし政府支出は予算制約を持たず本来的に裁量的なものであり、税収とは全く独立である。 免税事業者とその取引事業者が税を負担して国庫に収めたところで、政府が補填となる財政政策を実行してくれる保証もなければ、そもそも政府がその気になれば税収なしでも財政政策は実行できる。従って特定の税収と特税の財政政策の間には何の因果関係もない。免税事業者への実質課税で徴収した税収が何かに役立つと考えるべきではない。それは何の役にも立たない。

免税事業者の"益税"が気になるならばこそ、課税事業者の死荷重をまず気にすべきである。 というのも、"益税"というのは、結局課税事業者の死荷重の裏返しに過ぎないからだ。 「免税事業者が免税されていることによる利益」は「課税事業者が課税されていることによる損失」と全く同じはずである。 課税事業者との商取引では、課税事業者は当然売上から支払うであろう消費税を見越して価格をオファーするはずであり、 価格は上がるし利益は減る。免税事業者はこれを回避しているので、消費者にとっては安く、免税事業者にとっては高く売買できていた。 従って、この不公平を気にするならば、より抜本的な解決として消費減税が挙げられる。

"益税"問題 < 各事業者の収入

ここで一旦免税事業者という地位について一応検討しておこう。 免税事業者が課税事業者よりも有利な状況にあるのはもちろん事実である。 しかし、これはあくまで両者が全く同じ規模と条件で行っていた場合の話であり、 当然ながら免税事業者には売上1000万以下などの条件がついている。

小規模な課税事業者は少ないだろうし、大規模は免税事業者は存在しないのだから、 全く同じ規模と業態の、免税・課税事業者を単純比較するというのはあまり現実的ではない。 大規模な事業になれば、その分効率的な生産も可能になるだろうが、小規模ではそうもいかない。 したがって、線形な比較によって免税事業者が有利であると結論づけることにも疑念が生じる。

1000万以下の弱小事業者が、(全く同じ事業を行った時に)利益計算の点で1/11有利な地位にいることをどれだけ「不当」と捉えるかは、 各位の価値観によるところもあるだろうが、上記の事情から、自分は特段不当だとも思わない。 従って、現状の免税事業者の"益税"とやらを積極的に潰す必要も感じない。

よって、自分の意見としては、インボイス導入を見送るか、どうしてもインボイスを導入するというのならば、 免税事業者も容易にインボイスを発行できるようにするなどし、いわば"益税"を維持してもよいと考える。

しかしここに加えて 抜本的な解決として消費減税を実行してもよい。というか、それが最も望ましい。 その場合は"益税"も、 課税事業者側が免税事業者側に近づくことによって相対的には圧縮され、インボイス云々などの実質的意味も薄れるが、 いずれにせよ免税事業者およびそれらと取引する関連事業者の収入は守られるからである。

これは益税概念にばかり執着している人間からすると不可思議かもしれないが、 そもそもインボイス反対も、消費減税も、各事業者の収入減を憂慮してのことなのだ。

言ってしまえば、免税事業者と課税事業者の線形・相対的な公平性("益税")をどちらに寄せるかについてはこの際些末な問題 なのである。 実質的な増税を阻止することで、 各事業者の収入を絶対値として下げないことのほうが遥かに重要である。

インボイス反対と減税はどちらも各事業者の絶対的な収入を守るという目的で同じ方向を向いている。 だから大幅な消費減税によって"益税"が吹き飛んでしまうなら、それはそれで全く構わないのだ。 そのときはインボイスに反対する理由もない。消費税を無視できるほどになればインボイスの有無自体どうでも良くなる。 減税により課税事業者の負担は減り、免税事業者は何の変化もないか、仕入額が少し安くなるかもしれない。 何れにせよ、彼らの収入は守られる。

免税特権という"益税"に気を取られている人は、まずそもそも本件が実質増税である点、および現在の経済情勢にそぐわない消費税率についての是非を表明すべきだろう。 また、免税事業者が課税されたところであなたの収入は一円も増えず、もし取引があるならコストアップによる痛み分けにしかならないが、 そうして実現される「公平な重税」は果たしてそれに勝るすばらしい状態なのかもよく考えるべきだ。

本当に望ましいのは「公平な軽税」ではなかったか? あるいはそれがすぐに実現しないとしても、「公平な重税」は「不公正な重税と軽税」よりも望ましいのか?

消費税に限らずすべての税は貨幣の破壊である。したがって、 免税事業者を課税転換させることは、彼らが多めに取っていた貨幣を消費者側(?)に取り返すことではない消費者と事業者が、売買のたびにお互いの貨幣を少しずつ捨てることに合意することである。

例えば詐欺・詐取や賃金未払いなどは、いずれも抑制すべき悪行である。だがそうした犯罪行為によって、 加害者は利益を得て、被害者は同じ損失を出しているという意味では、何らかの価値が消滅したわけではない。 しかし免税セクションを課税転換するということは、これとは全く違う。 憎き免税事業者を吊し上げ、勇ましく課税転換させることによって、免税事業者と我々の両方に損失を出すのである。 ああ、なんという素晴らしい公平さだ。

インボイスを発行できる適格請求書発行事業者の個人情報が公開されてしまっているという問題については 当然改善したほうがいいと思うがここでは詳しく触れない。

増税回避/減税という本命

自分は自営業者ではないし、正直免税事業者の地位と公平性にそこまで関心がない。 免税事業者が免税されているという「不公平」な状況もそこまで不当とも思えないが、 免税事業者の優遇をどの程度まで実施しておくべきかという点については、 あったっていいだろう、位の立場であり、具体的に適切な優遇の水準がどのくらいかについては確たる意見はない。

益税概念については、そもそも消費税込み/税抜き価格が併記されていることによって、 「消費者が、税額を全部払っている」と勘違いしていることが遠因となっている気がする。 どれだけ魅力的な税抜き価格が提示されていたとしても、 どれだけ消費者がその差額である消費納税の負い目を感じても、 消費者が払うのは結局税込み価格であり、この時点では事業者はこの表示税額を納入する義務を消費者に対して負ったりなどしない。

各事業者は自身の売上に課されるか課されないかする税額を見込んだ上で、(税込み)価格を決定してオファーしているだけだから、 同じ条件では課税事業者に比べて免税事業者のほうが、消費者も事業者も得をする。 しかし一部の人間は益税への嫉妬のあまりか、「平等な課税」によって等しく貧しくなること を望んでいるかのようだ。

そしてこれこそが本件に反対すべき本来の理由である。

現行のインボイスに反対する側にいる理由は、シンプルに実質的な増税だからだ。 この増税が弱小免税事業者を狙い撃ちにしているという点でもよろしくない。

ここで、税収を維持しなければならないという思い込みによって、 減税や益税を他の部門に転嫁していると勝手にみなす藁人形論法は不当であることは予め釘を指しておく。

税の目的は税収を上げることではない。貨幣価値の担保という基幹機能を除けば、 格差の解消や悪行の抑制である。通貨主権を持つ日本で財政収支をバランスさせる必要もないので、 消費税によって国庫を潤す必要もない。現時点で消費増税する必要などまったくなく、 むしろ減税とともに需要を支え、それによって生産を維持拡大しなくてはならない局面にある。

インボイス制度はその制度的欠陥によって、 免税事業者の地位を切り崩すという形で間接的な消費増税となっている点がマズい。現在の経済局面からすれば、 免税事業者の免税という地位が不公平というならば、課税者の減税によってそれを正すべきであり、 免税事業者に実質的な課税を復活させたところで、誰も得をせず、単に収入減(貨幣供給減)によって経済が縮小するだけである。 減税する、または増税を回避することで、各種事業者の収入減を阻止するというのが最優先であり、 免税事業者という地位の公平性はこれに比べれば二の次である。益税などあってもなくてもよい。 そもそも消費税を減らしてしまえばインボイスやら益税やらの問題は相対的にどうでも良くなるのだから。 このため減税とインボイス反対は全く矛盾なく両立するのだ。 積極財政のインボイス反対派が守ろうとしているのは、免税事業者の相対的優位性なんかではなく、絶対的な収入の方である。

以上より、自分の考える限り望ましい政策に順位をつけると次となる。

  1. 消費税の大幅減税ないし停止。インボイスはどちらでもよい。(大本命)
  2. 消費税は維持するが、インボイス導入を免税事業者を免税のまま適格請求書発行事業者に認め、諸々の運用体制を整備した上での実施(温存:実質増税の阻止)
  3. 現行のままインボイス導入実施(最悪:実質増税)