ハイゼンベルク描像と時間発展

ハイゼンベルク描像

量子力学をシュッとやると、ハイゼンベルグ描像というのが登場します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%8F%8F%E5%83%8F

通常扱われているシュレディンガー描像というのは、要するに状態が時間発展します。一方でハイゼンベルク描像というのは、事象や物理量の側が時間発展します。

非常に素朴な理解 では、量子力学が計算するものは、ある状態( \rho)における、ある事象や物理量演算子(Aとする)の期待値

 \displaystyle
\mathrm{Tr}\rho A

であるとされます。そこで、シュレディンガー描像において、ユニタリ Uによって、状態が

 \displaystyle
\rho \mapsto U\rho U^\dagger

と発展しており、事象や物理量がそのままであるなら、代わりに事象や物理量が

 \displaystyle
A \mapsto U^\dagger A U

と発展し、状態をそのままにしたとしても、変化後の期待値はどちらも

 \displaystyle
\mathrm{Tr} U\rho  U^\dagger A = \mathrm{Tr} \rho  U^\dagger A U

なので同じである、というのがそのざっくりとした説明です。ついでにこの間の子である相互作用描像というのもあり、摂動展開などで使われます。

これだけ見ると、「ふーん」以上の感想はありません。

現代的なYet Anotherハイゼンベルク描像

さて、ここで対比として持ち出したい、「もう一つの」ハイゼンベルク描像があります。

量子測定や量子計算の理論はじわじわと普及しつつあり(要出典/希望的観測)、すでにユニタリ作用素はすでに一般的な量子プロセスと呼べるものではなくなっています。

かなり一般的な量子系の発展プロセスとして、CPTP写像というのがあります。 これは、

  • トレースクラス作用素からトレースクラス作用素への線形写像 F:T(A)\rightarrow T(B)
  • トレースを保存し \mathrm{Tr}F(\rho)=\mathrm{Tr}\rho
  • 完全正値なもの
    • ここで正値とは正作用素を正作用素に移す写像であり \rho \ge 0 \Rightarrow F(\rho)\ge 0
    • 完全正値とは Fを適当なアンシラ系に自明に拡張したもの( \rho\otimes \eta \mapsto F(\rho) \otimes \eta の線形拡張) F_n:T(A\otimes \mathbb{C}^n)\rightarrow T(B  \otimes \mathbb{C}^n)が常に正値であるもの。

と定義されます。これが真に最大限一般的なものか、というのは微妙な問題ですが、相当に一般的なものとして受け入れられていると思われます。トレース保存は、確率の正規化を保つことであり、完全正値は、この写像が記述していない外部の量子系があったとしても、正値性という基本的な性質が損なわれないことを要求します。

完全正値がやや人工的な条件に見えるために、これを落とした場合にどういう事が起きるかについては、

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0375960105005748

などで議論されています。(昔読めたが今はアクセス権を喪失してしまった...)

しかしここでは完全正値の動機づけは本質的な話題ではないのでスルーします。

CPTPは次のように展開できることが知られ、これはKraus演算子と呼ばれています。

 \displaystyle
F(\rho) = \sum_i K_i \rho K^{i^\dagger}\\
K_i : A \rightarrow B

CPTPは量子状態の変換なので、シュレディンガー描像に対応するものと思えるでしょう。CPTPはトレースクラス間の写像となっていますが、量子状態は特に密度行列で書かれることを考えると、より適切な"型"は、 DM(A) A上の密度行列として、

 \displaystyle
F:DM(A)\rightarrow DM(B)

と書くべきです。

ところで、これに対する双対があります。量子状態が密度行列で表現される一方で、 量子系の事象は、Effect作用素で表現されます。密度行列が、トレースクラスでトレース1規格化されたものであったのに対し、Effect作用素は、 0以上 1以下の有界作用素です。

これについての話を展開する前に、一般確率論における双対性を述べておきます。

密度行列とEffect作用素を、状態だの事象だの言うときには、背後に次の(一種の)一般確率論的な枠組みを意識しています。すなわち、

  • 状態 Sは、凸空間である。( p \in [0,1]について、 p,1-pの"内分"演算ができる)なぜならば、
    • 状態は確率混合可能である
  • 事象 Eは、Effect Moduleである。なぜならば、
    • 排他的事象は(頻度的に)合算可能である
    •  p \in [0,1]のレートで事象をロスできる
  • 状態と事象に対して、その発生確率がある。つまり、 p:S\times E \rightarrow [0,1]がある。これは、
    •  S について凸準同型であり、
    •  EについてEffectModule準同型である

EffectModuleはEffectAlgebraの [0,1 ]moduleであり、筆者がこれを知ったときには、その定式化の素直さの割に、界隈にあまり普及していなかった感がありますが、今はどうなんでしょうね。

量子力学は、 S=DM(A) E=Eff(A)  p(\rho,X) =\mathrm{Tr}\rho Xによる、一般確率論の一種と思えます。

そして、ある種の 位相的に都合のよい 一般確率論(量子論を含む)では、次の双対性が成り立ちます。

 \displaystyle
\hom_{\mathbb{Conv}}(S,[0,1]) \simeq E \\
\hom_{\mathbb{EMod}}(E,[0,1])\simeq S

すなわち、状態空間上の凸写像はすべて事象であり、事象空間上のEffctModule準同型はすべて状態です。量子力学におけるこれは、関数解析の事実としてよく知られており、

つまり、

 \displaystyle
\hom_{\mathbb{Conv}}(DM(A),[0,1])\simeq Eff(A)\\
\hom_{\mathbb{EMod}}(Eff(A),[0,1])\simeq DM(A)

ということです。

この双対性が成り立っているような一般確率系では、シュレディンガー描像/ハイゼンベルグ描像のような、2つの等価な世界で系を記述することができます。

ひとまずは量子系で議論をしましょう。CPTPは一般的な状態発展でした。ところで、量子系においては上のような双対性が成り立ちます。そこで、CPTP写像 F:DM(A)\rightarrow DM(B)を使って、

 \displaystyle
\rho \in DM(A) \mapsto \mathrm{Tr}F(\rho)Y

という写像を作ります。双対性から、ある X_Y \in Eff(A)があって、

 \displaystyle
\mathrm{Tr}F(\rho)Y = \mathrm{Tr}\rho X_Y

となります。(このあたりはRieszの表現定理とほとんど同じことをしている)

ここで、Y \mapsto X_Yという写像を考えることができます。これを F^\daggerとしましょう。これは、Effect作用素をEffect作用素に移す、EffectModule準同型です。つまり、事象の空間の"発展"写像です。

この構成は、 Fが別に完全正でなくてもできますが、完全正であれば、 F^\daggerも同様の完全正性を引き継ぎます。 Fのトレース保存性は、ここでは 1の保存性として継承されます。

このタイプの写像の標準的な名前があったかどうか忘れてしまいましたが、ひとまずCPU写像と呼ぶことにしましょう。つまり、Completely Positive Unitalということです。

このCPU写像が、相当に一般的な、量子的事象の発展写像であることも、CPTPと同様です。つまり、 1という最も自明な事象(常に成り立つ)を保存し、かつ事象(Effect作用素)を事象に移し、その正値性は、完全である。

CPU写像から、CPTP写像を作ることも全く同様にできます。 CPU写像G:Eff(B)\rightarrow Eff(A)を使って、

 \displaystyle
Y \in Eff(B) \mapsto \mathrm{Tr}\rho G(Y)

という写像を作ります。双対性から、ある \eta_\rho \in DM(B)があって、

 \displaystyle
\mathrm{Tr}\rho G(Y) = \mathrm{Tr}\eta_\rho Y

であり、 \rho \mapsto \eta_\rhoを与える写像 G^\dagger :DM(A)\rightarrow DM(B)とすれば、これはCPTP写像です。

CPU写像は、Effect作用素、つまり事象を変換する一般的な写像ですが、事象のCPU写像による量子論と、状態のCPTP写像による量子論は、 T(A)^* \simeq B(A) と Gleason/Buschの定理によって、完全に等価です。それは \hom ( -,[ 0,1 ] ) によって、圏同値なので、どちらで扱ってもよいことになります。 F\leftrightarrow F^\dagger G\leftrightarrow G^\dagger は、この圏同値による対応にほかなりません。

CPUもCPTPも、非常に一般的なクラスの写像です。ユニタリはもちろん、例えば、系の自由度を拡大したり、相関をもたせて片方を削除して乗り換えたり、新しく系を増設して相関させたり、確率混合したりなど、極めて幅広い操作ができます。それらの操作は状態側で行っても事象側で行ってもよく、圏同値がその整合性を保証します。

CPTP写像が状態を変換する一方で、CPU写像は事象を変換するので、後者はハイゼンベルグ描像に対応すると言えます。

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本当でしょうか?

何かおかしいぞ

前節で現代的な量子論におけるプロセスの話を展開したときに、CPU写像の型のメタ変数を、CPTP写像の型のメタ変数と逆にしていたことに気づいたでしょうか。

 \displaystyle
F,G^\dagger : DM(A)\rightarrow DM(B)\\
F^\dagger,G : Eff(B) \rightarrow Eff(A)

これは、仕様 です。そもそも、一般確率論的にも、状態と事象は、確率関数によって反転するようにできており、その圏同値は、反変です。 \hom(-,[0,1 ])反変関手だからです。

これは何を意味するのか。例えば、 F:DM(A)\rightarrow DM(B)によって、状態を発展させる、というとき、この発展が時間順方向であるとしましょう。そのとき、これの事象側の対応物 F^\daggerは、時間逆方向です。  F^\daggerは、未来に測定する可能性のある事象を、現在に持ってくる写像なのです。

さて、ここで最初の話に戻ってくるのですが、最初に述べた、Yet Anotherではない、教科書でよく登場するハイゼンベルク描像は、なんと時間順方向です。 ということは、なんとなくYet Another ハイゼンベルク描像とか名付けてみたけど、普通に別物です。一般化になっていません。

つまり、現在2種類のハイゼンベルク描像があるのです。なんということだ。

ちょっとまてよ、じゃあ一体ハイゼンベルク描像ってなんなんだ? というのも、Yet Another ハイゼンベルク描像は一般確率論的な動機づけから出てくるものであり、その操作的解釈はあまりに自然です。逆にこれまでのハイゼンベルク描像は一体何をしていたのか ?状態ではなく、事象を発展させる、というアイデアから、なんでまったく逆方向の写像がでてくるのか?

ハイゼンベルク描像が本当にやっていること

Yet Another ハイゼンベルク描像で、Riesz双対っぽい構成をした時のそれと、 通常のハイゼンベルク描像での整合性要件は、全く同じ形をしています。

 \displaystyle
\mathrm{Tr} U\rho  U^\dagger A = \mathrm{Tr} \rho  U^\dagger A U\\
\mathrm{Tr}F(\rho)Y = \mathrm{Tr}\rho  F^\dagger(Y)

にも関わらず、その解釈は全く逆です。

  • 前者はA \mapsto U^\dagger A Uを時間発展だと主張し
  • 後者は Y \mapsto F^\dagger(Y)を時間逆発展だと主張します。

そんなことってあるんでしょうか?

さてここで、筆者の見解を述べておきます。異論は認めるが認めないかもしれない(えっ)

時間発展解釈を捨てるべきは、古いハイゼンベルク描像です。

かつてのハイゼンベルク描像がしていたことは 時間に依存するゲージ変換 です。

このことを把握するために、視点の回転が要ります。素朴な量子力学では、時間発展とは、あるヒルベルト空間(のトレースクラス作用素の空間)を、ベクトル(か密度行列)が動き回る、というイメージで把握するかもしれません。少なくとも古典力学はそのような形をとります。つまり、時間軸という数直線から、状態空間への写像があり、これをたどることが状態発展だという見方です。

しかし、より一般的なプロセスでは、そもそも異なる時間で同一のヒルベルト空間に収まっている保証はありません。

さらに、この見方はあまりに状態と発展が密結合した見方です。発展は、あくまで状態空間全体への操作です。その作用の結果、発展パスを書けることはありますが、発展の本質はあくまで状態空間から状態空間への写像です。古典力学だって、運動の本質は、相空間の自己微分同型のことです。

そうした場合を含む場合、時間軸に状態空間の要素を割り当てる前に、まず状態空間そのものを割り当てる必要があります。

f:id:phykm:20210614001722p:plain
バンドルっぽい

これはちょうど、時間軸上に、状態空間そのものをファイバーとして載っているバンドルを考えるようなものです。ただし、一般に全てのファイバーが同型だとは限らない点は違います。

そして、ことなる時間の間に、状態空間の発展写像が入ります。これはCPTPです。ユニタリとは限りません。

事象の側も同様に捉えます。ただし、事象の写像はCPUで、これは状態側とは向きが逆になります。

f:id:phykm:20210614001805p:plain
state/event

さて、それでは、ハイゼンベルク描像とは一体なんだったのか?

ここで思い出すべきは、量子力学の内容は、基本的にユニタリ同型の範囲で変わらないということです。つまり、事象も状態も全てユニタリ変換するのならば、その変換は相殺されて表に出てこないということです。

この、ユニタリゲージ変換とでも言うべき操作を、各時刻で別々に行う ことを考えます。つまり、 U_iという時間iに依存するユニタリ変換を考えて、時刻 iの状態\rho U_i\rho U_i^\daggerへ、同様に時刻 iの事象 XU_i X U_i^\dagger写像することを考えます。全体のユニタリ変換なので、状態も事象もまったく同じ変換になっていることに注意してください。

f:id:phykm:20210614002009p:plain
ゲージ変換

このとき、

  • 時刻0の状態\rhoを、
  • 新しいゲージで
  • 写像によって時刻 1に移したもの

  • 時刻 1の事象 A
  • 新しいゲージでの値

で評価をしたいとします。それは

 \displaystyle
\mathrm{Tr}(U_1 F_{01}(U_0^\dagger \rho U_0)U_1^\dagger) (U_1 A U_1^\dagger)

という形になります。

さて、ここで 偶然、まったくの偶然 ですが、

  • U_0 = 1
  • U_1 = U^\dagger
  • F_{01}(\rho) = U \rho U^\dagger

が成り立っていたとしましょう。すると

 \displaystyle
\mathrm{Tr}(U_1 F_{01}(U_0^\dagger \rho U_0)U_1^\dagger) (U_1 A U_1^\dagger) = \mathrm{Tr}\rho U^\dagger A U

となり、先と全く同じ式が得られます。

つまり、ハイゼンベルク描像とは、事象の時間発展ではなく、 時間発展に相当する操作や写像は別途存在する上で、 時間に依存するユニタリゲージ変換の一種で、それが状態の時間発展を相殺する場合なのです。

ハイゼンベルク描像と、一般確率論の双対性で、時間の方向が逆になっているように見える謎がここでとけます。  A\mapsto U^\dagger A Uという変換は、時間発展ではありません。 この変換の前後で、作用素は 常に時刻 1の事象空間の中にあり、状態の時間発展を相殺するようなユニタリの、時刻1の変換がそれだったということです。

P.S.

はてなブログでのTeX体験がつらい