プランク定数は"いつ"必要?

プランク定数は”量子論の”物理定数なのか?

量子力学を特徴づける物理定数としてプランク定数 hがある。 プランク定数は前期量子論、いわゆるヒルベルト空間だの作用素だの測定理論だの言い出すずっと前から登場していて、例えば量子化された光のエネルギー1単位として登場する。

 \displaystyle
E = h \nu

他にもド・ブロイ波

 \displaystyle
\lambda = h/p

また、そこから派生して運動量演算子

 \displaystyle
\hat{p} = \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial x}

さらにはシュレディンガー方程式にも登場する。

 \displaystyle
i \hbar \frac{d}{dt}\phi(t) = H \phi(t)

プランク定数は作用の次元を持つ。つまり、運動量×距離、またはエネルギー×時間だ。

これほどまでに量子論/量子力学の随所に導入されているにもかかわらず、プランク定数の解釈には釈然としない点があると思う。

例えば、「 h\rightarrow 0極限が、古典理論になる」というスローガンがある。これは

  • 正準交換関係から導かれる不確定性原理が、 h\rightarrow 0によって可換になって消えるように見える
  • 経路積分において作用の係数を h\rightarrow 0とすると、最小作用に局在した軌道が残り古典論のように見える

といった性質によって支持されている。

しかし、どうだろうか? 率直に言えば、僕はこの説明、嫌いである。

例えば、不確定性関係や、それを備えた作用素確率論としての構造は、単に形式的に h\rightarrow 0にしたからと言って消えるものではないはずだ。そもそも、古典力学量子力学では、数学的構造があまりに違いすぎ、パラメータの極限等といったちゃちな解釈でその対応を正当化できる代物ではない。そもそも、 hは定数なので、動かしようがない。第一、掛け算作用素微分作用素が、プランク定数をゼロにしたからといって可換になるわけがないではないか。

しかしこうした議論はもとから非形式なもので、まともに取り合うべきではないとしても、もっと根本的な違和感がある。より現代的な量子力学の教科書、測定理論や量子計算を想定した文献では、そもそも最初に前期量子論的議論を行わないこともあり、プランク定数が登場するよりもはやく具体的な系を議論出来たりする。まず \mathbb{C}^2で議論し、スピンは無次元のパウリ行列を使えば良い。こうした場合にプランク定数が出現するのは、シュレディンガー方程式の時間微分項の隣であり、その登場は唐突ですらある。

そもそも(質点粒子系に限らない)シュレディンガー方程式の主張は、実質的にはストーンの定理そのものである。つまり、1パラメータユニタリ発展は、自己共役な生成子を持つという主張に過ぎない。そうであれば、プランク定数を導入する理由とは一体なんだろうか?  あるいはハミルトニアンをエネルギーの次元にする理由は? そしてその係数が非常に小さくいながら、あまりに「具体的な」値にしなければいけない理由はなんだろうか?

現代的な量子力学の定式化は、少なくとも定式化のみに限れば、プランク定数をそもそも必要としていない。そうなればもはや「プランク定数量子論的スケールを特徴づける」とは言えなくなる。

しかしながら、依然としてより「具体的な」系のモデルを議論するにあたって、プランク定数は絶対に登場する。プランク定数は一体いつ必要になり、その解釈は何なのか?

物理量を生み出す変換群

僕は量子力学における正準量子化をずっとしぶとく嫌っているのだが、嫌うだけでは建設的ではない。そこで代わりになるものとして、群作用、高級な言い方をすれば調和解析がその(本来の)代わりだと思っている。

例えば正準量子化が「成功する」とされるいくつかの物理量、グローバルな位置演算子、運動量、自由なエネルギー、場の演算子などは、実際には正準量子化はほとんど必然性が関係がない。

位置演算子は、ヒルベルト空間を、そのグローバル座標の L^2空間に取った段階で先験的に与えられるし、運動量は対称性変換群の生成子であり、エネルギーはそのカシミール元、場の演算子は、負周波数空間の双対修正と第二量子化(Fock)関手を経たラダーオペレータそのものだ。つまり正準量子化の背後には、(全てではないものの)よりもっともらしい、それぞれのロジックがある。

そのうち群作用はもっとも重要なものだと思う。量子力学と古典(解析)力学はあまりにも構造もその解釈も違いすぎる。しかし、古典量子どちらも

  • 群作用ができ
  • それによって変換の生成子を誘導でき
  • さらにそれらのリー代数を住まわせる空間を備え
  • 生成子を物理量(共役運動量)と解釈でき
  • 対称性が満たされる場合はにはそれが保存する

ところまで共通しているのだ。だから、正準量子化のような、「古典系を参考にする」ということが成功するのだとしたら、その理由は正準交換関係ではなく、共通の群作用によってである。

最後の、対称性が満たされる場合に、共役運動量が保存する、という性質は、よく考えるに値する。例えば、作用反作用を満たす2物体が相互作用しても運動量が保たれるように、対称性を満たす2系の合成系においては、それらの運動量はあくまで全体量が保たれていればよい。

これは 2系が全く異質であっても言える。 Gが作用する系 A,Bが、全く異質な系であっても全体系のハミルトニアン G対称であれば、 A上の共役運動量と、 B上の共役運動量の総和は保存する。しかし、 A,B上の共役運動量は、単独では保存しない。

これは当たり前のことを言っているのだが、それは「運動量」というものに我々がよく親しんでいるからである。全く異なる系同士の、適当な物理量を、なぜわざわざ足そうとしたのか、そして、なぜそれが保存的に交換すると思ったのか。 それは、この2つの系に共通の群が作用していたから だ。

この意味で群作用は、異なる合成系同士の物理量を「足す意味がある程度には同種のものである」と見なす動機を与える。

量子古典を同時に考える

そこで話をプランク定数に戻すのだが、同じ群が作用している異なる2つの力学系を議論するにあたって、古典⊗古典や、量子⊗量子はよく議論されるものの、古典⊗量子、という系を議論することは見かけない。もしあったら教えてほしいのだが、ここにプランク定数が登場する必然性があるのではないか、という説を思いついた。

古典系と量子系にともに Gが作用している。これらはそれぞれシンプレクティック変換、およびユニタリ変換として作用しているとしよう。そうしたときには、 Gリー代数の元 aごとに、

 \displaystyle
\frac{d}{dt}f(t) = - \{f(t), G_a\}

だとか

 \displaystyle
\frac{d}{dt}\rho(t) = -i\left[\rho(t),X_a \right]

だとかなる関数G_aや自己共役作用素X_aがあって、 f(t),\rho(t)は先の群作用の軌道を再現する、ということになる。

ところで、同じaに対する生成子なのだから、前節の直感からすると、この2つの物理量を足す動機が出てくる。 片方は相空間上の関数、片方は自己共役作用素だが、同じ対称性変換群から来たものなのだから、足せるはずだし、もし「全体系ハミルトニアン」(ハイブリッド系のそれがどのように表現されるのかはまったく想像もつかないが!)があって、それがG不変なら、この全a運動量は保存的に 交換する ことすらできるはずである(いったいどうやって!?)。

どうやってそれを実現するのか、これはわからない、とにかくハイブリッド系のダイナミクスを表現する数学的道具が発達するのを待つしか無いが、ともかく、X_aG_aを足す動機がある ということはわかる。

しかしここで問題が発生する。量子系のユニタリ変換は、生成子をパラメータで指数写像するだけだから、X_aの次元は、aパラメータの次元の逆数である。しかし、古典力学はそうではない。ポアソン括弧はx,pによる微分が入っていて、それを相殺するように、G_aは作用の次元とaの逆数次元の両方を持っている。

これによって、「同じ群作用の共役運動量なのにそれを足すことができない」 という問題が発生する。

作用の次元

どうしてこんなことになるのか? よく考えてみれば、解析力学において、ハミルトニアンラグランジアンはエネルギーの次元をもっていて、その積分である作用も当然有次元量だった。x,pポアソン括弧の次元も全てここから来るものである。

しかし待ってほしい、ラグランジュ形式にせよ、ハミルトン形式にせよ、その定式化は最小作用であり、その絶対的な値には物理的意味がない。作用は最小化されることが本質だから、その次元がどうとか、値がどうとかは「物理に効いてこない」のだ。 にもかかわらず、我々はそれを相対化したり、無次元化したりなどしなかった。それは、解析力学以前の古典力学との接続を保つためだったりするのだろうが、とにかく相対化を怠ってきたのだ。

さて、今こそそれを相対化しよう。それによれは、適当な 作用の次元を持つ任意の定数 hを使って、これで割ったものを、本当のラグランジアンだとかハミルトニアンだとか言うことにしよう。

するとどうなるだろうか? 運動量の次元は位置の逆数になって、ポアソン括弧は無次元化するのである。先のG_aX_aについては、それが住んでいる数学的世界はわからないが、ともかく

 \displaystyle
M_a = G_a\otimes ? 1 + h \otimes ? X_a

のようなものを作ることは、少なくとも次元解析はそれを妨げなくなる。\otimes ?は、この謎のハイブリッド系の合成を意味するが、とにかくわからないので\otimes ?と記した。将来の数学に期待。

しかし、一体 hの具体的な値は何にすればいいだろうか?  hの次元を決めはしたが、その値は決めていない。

ここで一つ、祈りを捧げる。

この謎ハイブリッド系を、とりあえずそこそこに孤立させ、aによる対称性が成り立つ状況に置く。そしてそれを守る限りで相互作用をさせて、M_aを測るのである。

M_aにはhが含まれているので、M_aを決定するにはhを決めないと行けない。ところが、このような実験をしているときに、我々はあることに気づく。hを特定の値にとって、実験結果を集計すると、M_aが常に実験の前後で保存しているのだ。

そこで、我々はhをその値に固定して、これを恭しくプランク定数と名付ける。

ここで捧げた 祈り とは、要するに 「量子古典のハイブリッド系でも全体運動量に対するネーター定理が成り立っていてくれ」 というものだ。これは祈るに値する。なぜならこれによって量子系の物理量hX_aに、古典系の物理量G_aを媒介した物理的解釈を与えられるからである。

以上が先日思いついた、もし前期量子論や歴史的経緯を完全に無視してプランク定数を動機づけるとしたら、このような形になるのではないか、という一つの仮説だ。

つまるところ、要点は以下である。

  • プランク定数は、まず古典力学の作用次元を相対化するために要求されるが、古典力学全体においてはこれはゲージ自由度のようなもので、値を固定することは出来ない
  • 量子論と古典論を相互作用させ、「同種の物理量」を対応させ交換する際に、保存則が期待できる
  • その保存則を実現し、量子古典の互換性を保証する値をhの具体値とする

つまり、プランク定数は、量子力学を特徴づける定数ではなく、古典力学量子力学にアプローチするために必要な定数 なのだ。