温度

https://togetter.com/li/1343491

からもう早一月半。

今更温度ネタを書くのは旬を逃しすぎている感がありますが、 温度についてつらつら書きます。要約すると「温度は面倒」「理想気体をやめろ」の二言。

(6/18:微調整)

温度n倍事件

 これについては、温度は示強変数だぜ! で終わる話でもあるんですが、本当に「温度n倍」がだめなのか、だめなのはなぜなのかという話になると途端に面倒になります。

 世にはいろんなパラメータがあります。物理量でも他でもなんでも構いません。適当な指標を浮かべてください。で、とりあえずそれらは適当な数値の環が係数として作用できるような数値ということにします。

 この作用であるn倍は意味を持つでしょうか?

 例えば、エネルギーn倍は意味を持つでしょうか? 正整数であれば、エネルギーEを持っている系をn個用意したときのエネルギー、と言い張れる気がしますね? では分数だったら?実数だったら?n個の系を用意したらそれらが相互作用してしまったら? 一般にはn倍のエネルギーを持つ系をすぐに用意できるかわからないですね。

 例えば、情報量だったら?情報量n倍は意味を持ちますか? これも例えばある情報源の複雑さがIなら、その系の情報を記述するのに平均Iビット必要なわけです。その系を独立にn個あつめて1セットとして、その記述に必要なビット数といえばnIビットだと、言い張れますね。では分数だったら? 実数だったら? n個集めたら実はこれらが独立じゃなかったりしたら? やはりわからなくなりますね。

 それでは、電場や磁場はどうでしょうか。これは(少なくとも日常的スケールでは)意味があります。 電気工学などの初歩ででてくる「重ね合わせの原理」というのが、電場磁場の \mathbb{R}moduleとしての性質に他ならないからです。 実際これを使って場の方程式や回路方程式をうまく解くというテクニックが成り立ちます。

 では温度は?これはもう散々言われていますが「一般には」意味がありません。

 以上の例はもちろん「意味をもつ」というときの意味がどういう意味なのかが開かれているので、きちんと固定した議論はできていません。

 まずそもそも「n倍が意味を持つ」というのはどういうことか。概ね以上の直観からすると、

ある系が与えられ、その系にその量が定義されたとき、その量のn倍をもつ系を、「決まりきった自然なやり方」で構成できるか

という言い方になるでしょう。実際、古典力学系や熱力学系のエネルギーや、電場磁場はこうしたことが可能に見えます。 その系をn個複製して用意するとか、境界条件をすべてn倍する、といった操作で実現できるからです。

従って一方「n倍に意味がない」ということは、

その系のn倍をもつ系を考えることが、「決まりきった自然なやり方」ではできない

ということです。

 (例えばエネルギーなどであれば、物理系やその境界条件の数学的集合がなんらかの「加法」(直和とか直積とか)をもっていて、物理量がそれに対して加法的である、という性質をもって、n倍は意味をもつ、という言い方は比較的「自然」ですが、一般に熱力学系を用意したときに、n倍の絶対温度をもつ状態を作るには、とりあえずエネルギーを注入して温度を上げてみる他ありません)

 もちろん、そう言ったところで、決まりきった自然なやり方の程度をどう評価するか、という問題に後退しただけで 根本的に曖昧さが解決しているわけではありません。このあたりは数理的センスをバトらせる以外に合意に到達する方法はないでしょう。

 それでもセルシウス度のn倍が、この意味で「意味がない」と多くの人がみなすということは、 やはりそこに大勢の人が感じる不自然さがあるからです。10℃を100倍すると1000℃になる。これはすごい温度だ。 しかしそれより20℃低いだけの-10℃を100倍すると-1000℃、そんなものはないぞ、なんじゃそら、というわけです。

 ではそれに比べてケルビン温度は「意味がある」のでしょうか? ケルビン度はセルシウス℃から273度足したものです。ただ原点をずらしただけです。 ケルビン度のn倍は「意味がある」のでしょうか?

 そこで再び「意味がある」「意味がない」に意見が別れます。 「意味がない」派は、最初に述べたように、「示強変数だから、「一般には」意味がない」と言うでしょう。 「意味がある」派は、例えば理想気体のエネルギー関係式を例にだして、「理想気体換算で、温度n倍はエネルギーn倍にあたる」 という例を持ち出すことができるでしょう。

 これはどちらもそれなりに正しいです。しかし後者に対してまだ次のように突っ込むことができます。

 理想気体は仮想的なモデルで、厳密には存在しない。だからやはり「一般には」意味がない

 これに対して「温度からエネルギーへの単調な換算自体は、適当な物体を持ってこれば できるのだから良いではないか」とさらに反論もできるでしょう。もちろんそのとおりです。 そして「単調にエネルギーへと換算できる」なら、セルシウス度だってできます。 「理想気体が存在しなくても、線形な換算式としては意味を持つ」という見方もできるでしょう。 そしてやはり、「ただの換算式でよいなら、理想気体を媒介する意味がない」と言い返せます。

 僕としては「意味がない」派ですが、無いことを示すのは難しいのです。特に「意味」が開かれているので、 その隙間に適当な「意味がありそう」なモデルをつくって差し込まれれば、無限に議論をぶり返すことができます。

 やはり戦争をやめるためには「示強変数だから」で済ませるべきでしょう。シンプルで有無を言わせぬところがあります。

理想気体絶対温度

 さて、理想気体は、大学以前の物理=高校物理で唯一触れられ、また物理や熱力学を専門としない場合において、 大勢の人が唯一その厳密な関係式群を覚えている熱力学系と言ってよいでしょう。 熱力学の課程では、その早い段階で理想気体が取り上げられます。

理想気体とはこのような系でした。

 PV= NRT

 U = NRT \frac{k}{2}

紛らわしいですがkはボルツマン係数ではなくて、自由度とします。 つまり、圧力と体積が等温反比例関係にあり、エネルギーと温度が比例するような系です。

 熱力学系の関係式群を実験的に検証するときには、様々なP,V,N,T,Uなどの条件で計測をして 仮説と値を比較することでなされます。P,V,N,Uは力学量ですから計測する手段がありますが、 温度Tの計測には温度計が要ります。この温度は、もちろんケルビン度、絶対温度です。

 ところで絶対温度はどのように測るのでしょうか。明らかに温度と力学量を換算してくれる何かが必要です。 そこで、理想気体それ自体を温度計として使えることがわかります。あなたが理想気体を持っているなら、 その圧力を固定し、膨張体積を関係式で換算することで温度を測ることができます。

ん...?

 まってください。なにかおかしいですね? 理想気体を持っているなら? ある熱力学系理想気体であることはどのように確認すればいいでしょうか? そもそも厳密な意味での理想気体は存在しません。理想化された近似的モデルだから理想なのです。 あなたが一つも理想気体を持っていないなら、どうやってそれを絶対温度計として使えばいいのでしょうか? (細かいことをいうと、近似的にでも理想気体のように振る舞う系があったからこそ、 理想気体の関係式が発見されたので、実験科学としては別にヤバイことではありません)

 これは(経験による成立過程を無視すれば)循環論法に見えます。 熱力学の教科書を見ると、まず理想気体というものが導入されます。それは絶対温度Tを参照しています。 しかし、絶対温度Tの定義は、理想気体の関係式におけるTのように振る舞うもの、となっているように見えます。 定義が循環してしまいました。どうしたことでしょう。 これでは、「どうも温度Tというものがあるらしい」「そのTを使った気体のモデルがあるらしい」ということしかわかりません。

 実はこれはエントロピーカルノーサイクルによる論法が確立する前段階としては、正しい状況なのです。 多くの教科書において、温度Tというものは、経験的にその存在が仮定されます。つまり、なんかそういう物があるよね、ということにされます。 そして多くの人はこのことを疑問には思いません。なぜなら、我々は日常的に温度に慣れ親しんでいるからです。 日常的に慣れ親しんでいる、という程度でいえば、あらゆる物理量の中でもトップクラスに慣れ親しんでいると言って良いでしょう。 それは熱力学の黎明期の学者にとってもそうだったでしょう。とにかく、正確な定義はわからんけど、温度というものがあって、これは便利なんだ、と。

 しかし熱力学の面白いところは、この絶対温度というものに普遍的な地位を与えられる点にこそあります。しかもその定式化には理想気体を必要としません。

カルノー定理とエントロピー

 さて、実は温度自体の定義はちゃんとできるのですが、そこに到達するルートが、よく知られているもので2つあります。 それは熱力学の理論をどのように展開するか、という流儀によります。

 熱力学はある意味で「枯れた」理論です。枯れたというのは悪い意味ではなくて、 その体系がよく完成されていて普遍性があるという意味です。

 しかし完成された理論であっても、 それをどのように展開するか、というのはまちまちで、なかなか奥が深いところがあります。 理論を定理の集合と思った時に、それをすべて証明できる公理のとり方や、 その実際の示し方には多様性があるのに似ています。逆数学みたいですね。

さて、さる1999年E.Lieb J.Yngvasonによって、エントロピーの操作的公理付けというのが試みられました。

arxiv.org

これによって、

エントロピー、めっちゃ直感的じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

という喜びの声が各地から聞こえるようになったと言われています(要出典) この煽りをうけて、それぞれ最前線で活躍されている日本の研究者の方々によって、伝統的な記述から一線を画したCoolな教科書が何冊か書かれました。

  1. 熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

    熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

  2. 熱力学入門

    熱力学入門

  3. 熱力学の基礎

    熱力学の基礎

  4. エントロピーからはじめる熱力学 (放送大学教材)

    エントロピーからはじめる熱力学 (放送大学教材)

 これらが母国語で読める喜びを噛み締めましょう。  このうち、2は1に似ていて、4は3に似ています。LYの影響下とはいえ、実は1,2はエントロピーを最初に導入はしておらず、 どちらかというと経験的温度を認めて絶対温度エントロピーに至る伝統的な熱力学を、操作的観点からリファインした内容です。 3,4はエントロピーから初めていますが、残念ながらLYのエントロピーの構成自体は陽に扱っていません。 エントロピーの公理からの構成はLYの早い段階で登場し、これだけなら簡単な解析の予備知識だけで理解できるものなので、是非LYの元ネタ論文を眺めてみてください。

 なぜエントロピーの公理付けをここで紹介したかというと、実は絶対温度の定義はエントロピー概念を認めれば一瞬で終わるからです。

T^{-1} = \frac{\partial S}{\partial U}

 そして温度だけでなく、各種熱力学関数やそれらのあいだのルジャンドル変換も、エントロピーに付帯するいくつかの性質を仮定することで ほぼすべて動機づけることができます。このあたりの話は前にノートにまとめたので

http://www.asahi-net.or.jp/~fu5k-mths/pdf/abst_thermo.pdf

興味のある向きは読んでみてください。 多分↑の3.4にも似たことが書いてあります。

 なぜ温度はエントロピー導関数(の逆数)となるのか、 あるいは、なぜそのような定義が有用なのか、については、 エントロピーを第一義とする定式化からは、エントロピーは、断熱操作可能性関係を反映する加法的関数とされるから、 そして、平衡という操作が常に可能だから、と説明することができます。

 エントロピーは熱平衡によって最大化されます。つまり、 複数の系を並べて、エネルギーを保存的に交換できるようにしたとき、エントロピーは最大値をとる。 そのときの系の状態は、エントロピー導関数が等しい、すなわち温度が等しい、という条件から求められます。 すなわち、エントロピー導関数は、平衡の必要条件を記述するが故に重要であり、また定義に値するのです。

 僕個人はこのエントロピーからスタートする熱力学をとても気に入っているので、 正直これで終わりにしたいところなのですが、もうちょっと話を続けます。

 確かにこれで熱力学はきれいに展開できます。 しかし、数で言えば、エントロピーを最初に動機付けてしまう流儀はまだ少数派で、 歴史的経緯に則った、経験温度とカルノーサイクルからエントロピーに到達するほうが多数派でしょう。

 この二つの流儀はもちろん矛盾しません。どちらからはじめても熱力学は展開できます。ただ単に伝統的議論の方が、面倒でわかりにくいというだけです。

 なぜわかりにくいのか? もちろん、熱機関の思考実験がテクニカルという側面はありますが、 僕の私見としては、一見自然で導入的な絶対温度理想気体の経験的直感が、むしろ本筋を見えにくくしているのではないか、と疑っています。 理想気体はほとんどの教科書の早い段階で扱われますが、実のところ熱力学の定式化とっては、伝統的なスタイルですらなんの役割も果たさないからです。

経験温度→カルノー定理→エントロピー without 理想気体

この話(=経験温度と熱機関による定式化)は上の1.2を熟読するのがベストなのですが、ここでその概要(の1変種)を、理想気体抜きで述べたいと思います。

 歴史的にも、またこのルートの定式化にとっては本質的にも、カルノー定理は、 極めて重要な意味を持っています。なぜなら、この定理こそが、絶対温度の定義自体を可能にしているからです。

ja.wikipedia.org

最近はWikipediaの記述も適切で、わざわざブログにする意味がないね

 カルノー定理の主張は、「2熱源間の熱機関の最大効率は、熱源の温度だけできまる」ですが、この「温度」を絶対温度だとも言っていないというのが重要です。カルノー定理の真の威力を理解するには、我々が仮定する経験的温度とはそもそも何なのかというのを明らかにする必要があります。

 伝統的な定式化において、経験的な温度を認めるというとき、我々は一体何を仮定しているのでしょうか? あきらかに、ここで「何を仮定しているか」において、温度それ自体の値を参照しては循環論法になってしまいます。 したがって、温度を使って我々が経験的にできることを、外周から見てやる必要があります。

 まず、異なる物体を接触させると、エネルギーが移動し、あるところで移動をしなくなります。 こうして接触でエネルギーが移動しなくなったもの同士を再び接触させても移動しません。 すなわち、複数の熱力学系をエネルギーが交換できる状況においたとき、 非自明なエネルギーの移動が起きないもの、というのは同値関係をなします。

 この同値関係のラベルを我々は温度と呼びます。 この温度というラベルは、仮に異なったとしても、どちらか一方にエネルギーを供給することで、揃えることができます。 つまり、それ以外の変数状態が同じであれば、系のエネルギーの順序を反映した順序をもつとみなすことができます。

 これが経験的な温度のすべてです。つまり、数値ですらありません。 エネルギーの順序を反映しているのでエネルギーでいいような気もしますが、エネルギーは示量的な一方、温度は示強的ですから、 エネルギーともまた異質なものです。

 この経験的な温度とはそもそも数値ですら無いことは十分に強調すべきです。実際、伝統的な熱力学のわかりにくいところは、経験温度を、数値換算した上で導入してしまっている点にあります。 

 よく考えてみてください、平衡同値関係の商としての温度の存在は認められるでしょう、一体どうやってそれを数値換算したのでしょうか? エネルギーに対して単調かつ示強的ですから、例えばT=a U/Nとでもすればよいのでしょうか? しかしなぜT=a(U/N)^5ではだめなのでしょう? あるいはT=\log(U/N)では? このようにいくらでも「換算」はできますが、この時点ではどれを選ぶ必然性も無いのです。もちろん、温度の数値換算が定まっていないこの段階で理想気体を参照すれば当然循環論法になります。しかし、カルノー定理を使えば、温度に必然性のある値を割り当てることができます。

 以下、この平衡同値関係商としての経験温度を、便宜的に抽象温度と呼ぶことにしましょう。

 さて今の所、温度とは、単なるラベルに過ぎないとわかりました。しかしこの状態であっても、カルノー定理は成り立つのでした。

すなわち、 X_0,X_1 ,Y_1,Y_0なるカルノーサイクルで、X_0,X_1が抽象温度tY_0,Y_1が抽象温度sの等温過程であり、他が断熱準静であるとしましょう。 カルノー定理は次を主張します。等温過程の最大吸熱量をQとしたとき、

\frac{Q(s,Y_0,Y_1)}{Q(t,X_0,X_1)}は、この物質の組成および X_0,X_1 ,Y_1,Y_0にも依存しないs,tだけの関数f(s,t)である。

これは極めて普遍的、かつ温度の定義について本質的な主張です。 tを固定して抽象温度sの「数値表現」g(s)

g(s)=f(s,t)

としてみましょう。こうすることで、温度を数値に換算することができます。f(s,t)カルノー関数とよばれ、 物質の組成にもサイクルの端点にもよらず、しかも熱機関の最大効率(これは吸熱比で決まります)という操作的意味まであります。

 温度が普遍的な数値表現をもつことによって、個々の系にたいしてより詳しい解析ができるようになります。任意の熱力学系Xをとったとしましょう。 すでにXの状態には抽象温度はついていますが、これをさらに上の数値表現を通すことで、温度関数T(U,V)=g(s)=f(s,t)が得られます。ここで、(U,V)の抽象温度をsとします。 ところで、熱力学第一法則は、微分形式で書くことができました。それは、準静過程をとったときの、吸熱量を

Q = dU + pdV

と書くものでした。ここで、系Xのカルノーサイクルを考えます。カルノーサイクルにおける断熱過程の部分では

dU = - pdV

が常に成り立ちます。従って、線積分

 \int \frac{Q}{T}

は断熱過程の部分ではゼロです。一方で、等温過程の部分では

 \int \frac{Q}{T}=\frac{1}{T}\int Q

です。ところがカルノーの定理から、温度は吸熱量を使って定義したのですから、二つの等温過程でのこの積分は相殺します。結局カルノーサイクル一周で

\int_C \frac{Q}{T} = 0

です。

 この議論をあらゆる細かいカルノーサイクルで行うことで、この系の相空間をカルノーサイクルのなす微小方形で埋め尽くすことを考えます。 もし以上の関数たちがある程度たちのよいもの(可微分性とか)であるなら、ストークスの定理から 任意のカルノーサイクルの囲む相空間の微小面積要素で d(Q/T)の面積分はゼロ、すなわちd(Q/T)=0であり、 相空間の単連結性を仮定すれば、dS= Q/TとなるSが存在します。

 これは温度が熱形式の積分因子であることを意味します。 そしてこの時のSエントロピーに他ならず、 カルノー定理の背景にある操作的仮定がエントロピー原理に翻案され、熱力学が完成します。

 くどいですが、以上の議論にはどこにも理想気体は登場しないことに注意してください。温度が定義でき、そこからエントロピーが定義できることは、 カルノー定理からくる帰結であって、理想気体はその関数の一例を提供するにすぎません。結局理想気体は熱力学の定式化には役に立っていないのです。

 よくある「理想気体絶対温度計の役割がある」というのが不正確であることも以上から了解できるでしょう。先に触れたように、理想気体理想気体温度を定義しただけでは、定義の循環によって、そもそも理想気体であることを確認できず、適当な物質についてT=VP/NRと「宣言」するしかありません。もちろんこれでも(Pを固定すれば)「数値ラベルの」抽象温度計としての役割は果たすでしょうが、数値としてはカルノー定理からくる絶対温度には(近似的にしか)一致しないでしょう。なぜならそもそも理想気体は存在しないからです。そして絶対温度に一致する必要がなく、ただ抽象温度に数値を割り当てたいだけなら、理想気体の関係式を採用する理由がそもそもありません。それならT=(VP/NR)^3と定義してもよいはずですし、そもそも関係式を固定したところで、物質を変えれば数値も変わってしまうでしょう。

 したがって、(伝統的な定式化では)絶対温度に先行してまずカルノー定理があります。カルノー定理が前提とするのは、いくつかの操作的仮定とケルビン原理、そして抽象温度=平衡の同値関係です。カルノー定理によって定義可能となる絶対温度を用いることで、理想気体が循環することなく定義できます。

 熱力学の発展史上、カルノー定理やエントロピー概念への到達がいかにウルトラC級の飛躍だったのかというのを思わせます。すごいですね。

おしまい。