プランク定数は"いつ"必要?

プランク定数は”量子論の”物理定数なのか?

量子力学を特徴づける物理定数としてプランク定数 hがある。 プランク定数は前期量子論、いわゆるヒルベルト空間だの作用素だの測定理論だの言い出すずっと前から登場していて、例えば量子化された光のエネルギー1単位として登場する。

 \displaystyle
E = h \nu

他にもド・ブロイ波

 \displaystyle
\lambda = h/p

また、そこから派生して運動量演算子

 \displaystyle
\hat{p} = \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial x}

さらにはシュレディンガー方程式にも登場する。

 \displaystyle
i \hbar \frac{d}{dt}\phi(t) = H \phi(t)

プランク定数は作用の次元を持つ。つまり、運動量×距離、またはエネルギー×時間だ。

これほどまでに量子論/量子力学の随所に導入されているにもかかわらず、プランク定数の解釈には釈然としない点があると思う。

例えば、「 h\rightarrow 0極限が、古典理論になる」というスローガンがある。これは

  • 正準交換関係から導かれる不確定性原理が、 h\rightarrow 0によって可換になって消えるように見える
  • 経路積分において作用の係数を h\rightarrow 0とすると、最小作用に局在した軌道が残り古典論のように見える

といった性質によって支持されている。

しかし、どうだろうか? 率直に言えば、僕はこの説明、嫌いである。

例えば、不確定性関係や、それを備えた作用素確率論としての構造は、単に形式的に h\rightarrow 0にしたからと言って消えるものではないはずだ。そもそも、古典力学量子力学では、数学的構造があまりに違いすぎ、パラメータの極限等といったちゃちな解釈でその対応を正当化できる代物ではない。そもそも、 hは定数なので、動かしようがない。第一、掛け算作用素微分作用素が、プランク定数をゼロにしたからといって可換になるわけがないではないか。

しかしこうした議論はもとから非形式なもので、まともに取り合うべきではないとしても、もっと根本的な違和感がある。より現代的な量子力学の教科書、測定理論や量子計算を想定した文献では、そもそも最初に前期量子論的議論を行わないこともあり、プランク定数が登場するよりもはやく具体的な系を議論出来たりする。まず \mathbb{C}^2で議論し、スピンは無次元のパウリ行列を使えば良い。こうした場合にプランク定数が出現するのは、シュレディンガー方程式の時間微分項の隣であり、その登場は唐突ですらある。

そもそも(質点粒子系に限らない)シュレディンガー方程式の主張は、実質的にはストーンの定理そのものである。つまり、1パラメータユニタリ発展は、自己共役な生成子を持つという主張に過ぎない。そうであれば、プランク定数を導入する理由とは一体なんだろうか?  あるいはハミルトニアンをエネルギーの次元にする理由は? そしてその係数が非常に小さくいながら、あまりに「具体的な」値にしなければいけない理由はなんだろうか?

現代的な量子力学の定式化は、少なくとも定式化のみに限れば、プランク定数をそもそも必要としていない。そうなればもはや「プランク定数量子論的スケールを特徴づける」とは言えなくなる。

しかしながら、依然としてより「具体的な」系のモデルを議論するにあたって、プランク定数は絶対に登場する。プランク定数は一体いつ必要になり、その解釈は何なのか?

物理量を生み出す変換群

僕は量子力学における正準量子化をずっとしぶとく嫌っているのだが、嫌うだけでは建設的ではない。そこで代わりになるものとして、群作用、高級な言い方をすれば調和解析がその(本来の)代わりだと思っている。

例えば正準量子化が「成功する」とされるいくつかの物理量、グローバルな位置演算子、運動量、自由なエネルギー、場の演算子などは、実際には正準量子化はほとんど必然性が関係がない。

位置演算子は、ヒルベルト空間を、そのグローバル座標の L^2空間に取った段階で先験的に与えられるし、運動量は対称性変換群の生成子であり、エネルギーはそのカシミール元、場の演算子は、負周波数空間の双対修正と第二量子化(Fock)関手を経たラダーオペレータそのものだ。つまり正準量子化の背後には、(全てではないものの)よりもっともらしい、それぞれのロジックがある。

そのうち群作用はもっとも重要なものだと思う。量子力学と古典(解析)力学はあまりにも構造もその解釈も違いすぎる。しかし、古典量子どちらも

  • 群作用ができ
  • それによって変換の生成子を誘導でき
  • さらにそれらのリー代数を住まわせる空間を備え
  • 生成子を物理量(共役運動量)と解釈でき
  • 対称性が満たされる場合はにはそれが保存する

ところまで共通しているのだ。だから、正準量子化のような、「古典系を参考にする」ということが成功するのだとしたら、その理由は正準交換関係ではなく、共通の群作用によってである。

最後の、対称性が満たされる場合に、共役運動量が保存する、という性質は、よく考えるに値する。例えば、作用反作用を満たす2物体が相互作用しても運動量が保たれるように、対称性を満たす2系の合成系においては、それらの運動量はあくまで全体量が保たれていればよい。

これは 2系が全く異質であっても言える。 Gが作用する系 A,Bが、全く異質な系であっても全体系のハミルトニアン G対称であれば、 A上の共役運動量と、 B上の共役運動量の総和は保存する。しかし、 A,B上の共役運動量は、単独では保存しない。

これは当たり前のことを言っているのだが、それは「運動量」というものに我々がよく親しんでいるからである。全く異なる系同士の、適当な物理量を、なぜわざわざ足そうとしたのか、そして、なぜそれが保存的に交換すると思ったのか。 それは、この2つの系に共通の群が作用していたから だ。

この意味で群作用は、異なる合成系同士の物理量を「足す意味がある程度には同種のものである」と見なす動機を与える。

量子古典を同時に考える

そこで話をプランク定数に戻すのだが、同じ群が作用している異なる2つの力学系を議論するにあたって、古典⊗古典や、量子⊗量子はよく議論されるものの、古典⊗量子、という系を議論することは見かけない。もしあったら教えてほしいのだが、ここにプランク定数が登場する必然性があるのではないか、という説を思いついた。

古典系と量子系にともに Gが作用している。これらはそれぞれシンプレクティック変換、およびユニタリ変換として作用しているとしよう。そうしたときには、 Gリー代数の元 aごとに、

 \displaystyle
\frac{d}{dt}f(t) = - \{f(t), G_a\}

だとか

 \displaystyle
\frac{d}{dt}\rho(t) = -i\left[\rho(t),X_a \right]

だとかなる関数G_aや自己共役作用素X_aがあって、 f(t),\rho(t)は先の群作用の軌道を再現する、ということになる。

ところで、同じaに対する生成子なのだから、前節の直感からすると、この2つの物理量を足す動機が出てくる。 片方は相空間上の関数、片方は自己共役作用素だが、同じ対称性変換群から来たものなのだから、足せるはずだし、もし「全体系ハミルトニアン」(ハイブリッド系のそれがどのように表現されるのかはまったく想像もつかないが!)があって、それがG不変なら、この全a運動量は保存的に 交換する ことすらできるはずである(いったいどうやって!?)。

どうやってそれを実現するのか、これはわからない、とにかくハイブリッド系のダイナミクスを表現する数学的道具が発達するのを待つしか無いが、ともかく、X_aG_aを足す動機がある ということはわかる。

しかしここで問題が発生する。量子系のユニタリ変換は、生成子をパラメータで指数写像するだけだから、X_aの次元は、aパラメータの次元の逆数である。しかし、古典力学はそうではない。ポアソン括弧はx,pによる微分が入っていて、それを相殺するように、G_aは作用の次元とaの逆数次元の両方を持っている。

これによって、「同じ群作用の共役運動量なのにそれを足すことができない」 という問題が発生する。

作用の次元

どうしてこんなことになるのか? よく考えてみれば、解析力学において、ハミルトニアンラグランジアンはエネルギーの次元をもっていて、その積分である作用も当然有次元量だった。x,pポアソン括弧の次元も全てここから来るものである。

しかし待ってほしい、ラグランジュ形式にせよ、ハミルトン形式にせよ、その定式化は最小作用であり、その絶対的な値には物理的意味がない。作用は最小化されることが本質だから、その次元がどうとか、値がどうとかは「物理に効いてこない」のだ。 にもかかわらず、我々はそれを相対化したり、無次元化したりなどしなかった。それは、解析力学以前の古典力学との接続を保つためだったりするのだろうが、とにかく相対化を怠ってきたのだ。

さて、今こそそれを相対化しよう。それによれは、適当な 作用の次元を持つ任意の定数 hを使って、これで割ったものを、本当のラグランジアンだとかハミルトニアンだとか言うことにしよう。

するとどうなるだろうか? 運動量の次元は位置の逆数になって、ポアソン括弧は無次元化するのである。先のG_aX_aについては、それが住んでいる数学的世界はわからないが、ともかく

 \displaystyle
M_a = G_a\otimes ? 1 + h \otimes ? X_a

のようなものを作ることは、少なくとも次元解析はそれを妨げなくなる。\otimes ?は、この謎のハイブリッド系の合成を意味するが、とにかくわからないので\otimes ?と記した。将来の数学に期待。

しかし、一体 hの具体的な値は何にすればいいだろうか?  hの次元を決めはしたが、その値は決めていない。

ここで一つ、祈りを捧げる。

この謎ハイブリッド系を、とりあえずそこそこに孤立させ、aによる対称性が成り立つ状況に置く。そしてそれを守る限りで相互作用をさせて、M_aを測るのである。

M_aにはhが含まれているので、M_aを決定するにはhを決めないと行けない。ところが、このような実験をしているときに、我々はあることに気づく。hを特定の値にとって、実験結果を集計すると、M_aが常に実験の前後で保存しているのだ。

そこで、我々はhをその値に固定して、これを恭しくプランク定数と名付ける。

ここで捧げた 祈り とは、要するに 「量子古典のハイブリッド系でも全体運動量に対するネーター定理が成り立っていてくれ」 というものだ。これは祈るに値する。なぜならこれによって量子系の物理量hX_aに、古典系の物理量G_aを媒介した物理的解釈を与えられるからである。

以上が先日思いついた、もし前期量子論や歴史的経緯を完全に無視してプランク定数を動機づけるとしたら、このような形になるのではないか、という一つの仮説だ。

つまるところ、要点は以下である。

  • プランク定数は、まず古典力学の作用次元を相対化するために要求されるが、古典力学全体においてはこれはゲージ自由度のようなもので、値を固定することは出来ない
  • 量子論と古典論を相互作用させ、「同種の物理量」を対応させ交換する際に、保存則が期待できる
  • その保存則を実現し、量子古典の互換性を保証する値をhの具体値とする

つまり、プランク定数は、量子力学を特徴づける定数ではなく、古典力学量子力学にアプローチするために必要な定数 なのだ。

ハイゼンベルク描像と時間発展

ハイゼンベルク描像

量子力学をシュッとやると、ハイゼンベルグ描像というのが登場します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%8F%8F%E5%83%8F

通常扱われているシュレディンガー描像というのは、要するに状態が時間発展します。一方でハイゼンベルク描像というのは、事象や物理量の側が時間発展します。

非常に素朴な理解 では、量子力学が計算するものは、ある状態( \rho)における、ある事象や物理量演算子(Aとする)の期待値

 \displaystyle
\mathrm{Tr}\rho A

であるとされます。そこで、シュレディンガー描像において、ユニタリ Uによって、状態が

 \displaystyle
\rho \mapsto U\rho U^\dagger

と発展しており、事象や物理量がそのままであるなら、代わりに事象や物理量が

 \displaystyle
A \mapsto U^\dagger A U

と発展し、状態をそのままにしたとしても、変化後の期待値はどちらも

 \displaystyle
\mathrm{Tr} U\rho  U^\dagger A = \mathrm{Tr} \rho  U^\dagger A U

なので同じである、というのがそのざっくりとした説明です。ついでにこの間の子である相互作用描像というのもあり、摂動展開などで使われます。

これだけ見ると、「ふーん」以上の感想はありません。

現代的なYet Anotherハイゼンベルク描像

さて、ここで対比として持ち出したい、「もう一つの」ハイゼンベルク描像があります。

量子測定や量子計算の理論はじわじわと普及しつつあり(要出典/希望的観測)、すでにユニタリ作用素はすでに一般的な量子プロセスと呼べるものではなくなっています。

かなり一般的な量子系の発展プロセスとして、CPTP写像というのがあります。 これは、

  • トレースクラス作用素からトレースクラス作用素への線形写像 F:T(A)\rightarrow T(B)
  • トレースを保存し \mathrm{Tr}F(\rho)=\mathrm{Tr}\rho
  • 完全正値なもの
    • ここで正値とは正作用素を正作用素に移す写像であり \rho \ge 0 \Rightarrow F(\rho)\ge 0
    • 完全正値とは Fを適当なアンシラ系に自明に拡張したもの( \rho\otimes \eta \mapsto F(\rho) \otimes \eta の線形拡張) F_n:T(A\otimes \mathbb{C}^n)\rightarrow T(B  \otimes \mathbb{C}^n)が常に正値であるもの。

と定義されます。これが真に最大限一般的なものか、というのは微妙な問題ですが、相当に一般的なものとして受け入れられていると思われます。トレース保存は、確率の正規化を保つことであり、完全正値は、この写像が記述していない外部の量子系があったとしても、正値性という基本的な性質が損なわれないことを要求します。

完全正値がやや人工的な条件に見えるために、これを落とした場合にどういう事が起きるかについては、

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0375960105005748

などで議論されています。(昔読めたが今はアクセス権を喪失してしまった...)

しかしここでは完全正値の動機づけは本質的な話題ではないのでスルーします。

CPTPは次のように展開できることが知られ、これはKraus演算子と呼ばれています。

 \displaystyle
F(\rho) = \sum_i K_i \rho K^{i^\dagger}\\
K_i : A \rightarrow B

CPTPは量子状態の変換なので、シュレディンガー描像に対応するものと思えるでしょう。CPTPはトレースクラス間の写像となっていますが、量子状態は特に密度行列で書かれることを考えると、より適切な"型"は、 DM(A) A上の密度行列として、

 \displaystyle
F:DM(A)\rightarrow DM(B)

と書くべきです。

ところで、これに対する双対があります。量子状態が密度行列で表現される一方で、 量子系の事象は、Effect作用素で表現されます。密度行列が、トレースクラスでトレース1規格化されたものであったのに対し、Effect作用素は、 0以上 1以下の有界作用素です。

これについての話を展開する前に、一般確率論における双対性を述べておきます。

密度行列とEffect作用素を、状態だの事象だの言うときには、背後に次の(一種の)一般確率論的な枠組みを意識しています。すなわち、

  • 状態 Sは、凸空間である。( p \in [0,1]について、 p,1-pの"内分"演算ができる)なぜならば、
    • 状態は確率混合可能である
  • 事象 Eは、Effect Moduleである。なぜならば、
    • 排他的事象は(頻度的に)合算可能である
    •  p \in [0,1]のレートで事象をロスできる
  • 状態と事象に対して、その発生確率がある。つまり、 p:S\times E \rightarrow [0,1]がある。これは、
    •  S について凸準同型であり、
    •  EについてEffectModule準同型である

EffectModuleはEffectAlgebraの [0,1 ]moduleであり、筆者がこれを知ったときには、その定式化の素直さの割に、界隈にあまり普及していなかった感がありますが、今はどうなんでしょうね。

量子力学は、 S=DM(A) E=Eff(A)  p(\rho,X) =\mathrm{Tr}\rho Xによる、一般確率論の一種と思えます。

そして、ある種の 位相的に都合のよい 一般確率論(量子論を含む)では、次の双対性が成り立ちます。

 \displaystyle
\hom_{\mathbb{Conv}}(S,[0,1]) \simeq E \\
\hom_{\mathbb{EMod}}(E,[0,1])\simeq S

すなわち、状態空間上の凸写像はすべて事象であり、事象空間上のEffctModule準同型はすべて状態です。量子力学におけるこれは、関数解析の事実としてよく知られており、

つまり、

 \displaystyle
\hom_{\mathbb{Conv}}(DM(A),[0,1])\simeq Eff(A)\\
\hom_{\mathbb{EMod}}(Eff(A),[0,1])\simeq DM(A)

ということです。

この双対性が成り立っているような一般確率系では、シュレディンガー描像/ハイゼンベルグ描像のような、2つの等価な世界で系を記述することができます。

ひとまずは量子系で議論をしましょう。CPTPは一般的な状態発展でした。ところで、量子系においては上のような双対性が成り立ちます。そこで、CPTP写像 F:DM(A)\rightarrow DM(B)を使って、

 \displaystyle
\rho \in DM(A) \mapsto \mathrm{Tr}F(\rho)Y

という写像を作ります。双対性から、ある X_Y \in Eff(A)があって、

 \displaystyle
\mathrm{Tr}F(\rho)Y = \mathrm{Tr}\rho X_Y

となります。(このあたりはRieszの表現定理とほとんど同じことをしている)

ここで、Y \mapsto X_Yという写像を考えることができます。これを F^\daggerとしましょう。これは、Effect作用素をEffect作用素に移す、EffectModule準同型です。つまり、事象の空間の"発展"写像です。

この構成は、 Fが別に完全正でなくてもできますが、完全正であれば、 F^\daggerも同様の完全正性を引き継ぎます。 Fのトレース保存性は、ここでは 1の保存性として継承されます。

このタイプの写像の標準的な名前があったかどうか忘れてしまいましたが、ひとまずCPU写像と呼ぶことにしましょう。つまり、Completely Positive Unitalということです。

このCPU写像が、相当に一般的な、量子的事象の発展写像であることも、CPTPと同様です。つまり、 1という最も自明な事象(常に成り立つ)を保存し、かつ事象(Effect作用素)を事象に移し、その正値性は、完全である。

CPU写像から、CPTP写像を作ることも全く同様にできます。 CPU写像G:Eff(B)\rightarrow Eff(A)を使って、

 \displaystyle
Y \in Eff(B) \mapsto \mathrm{Tr}\rho G(Y)

という写像を作ります。双対性から、ある \eta_\rho \in DM(B)があって、

 \displaystyle
\mathrm{Tr}\rho G(Y) = \mathrm{Tr}\eta_\rho Y

であり、 \rho \mapsto \eta_\rhoを与える写像 G^\dagger :DM(A)\rightarrow DM(B)とすれば、これはCPTP写像です。

CPU写像は、Effect作用素、つまり事象を変換する一般的な写像ですが、事象のCPU写像による量子論と、状態のCPTP写像による量子論は、 T(A)^* \simeq B(A) と Gleason/Buschの定理によって、完全に等価です。それは \hom ( -,[ 0,1 ] ) によって、圏同値なので、どちらで扱ってもよいことになります。 F\leftrightarrow F^\dagger G\leftrightarrow G^\dagger は、この圏同値による対応にほかなりません。

CPUもCPTPも、非常に一般的なクラスの写像です。ユニタリはもちろん、例えば、系の自由度を拡大したり、相関をもたせて片方を削除して乗り換えたり、新しく系を増設して相関させたり、確率混合したりなど、極めて幅広い操作ができます。それらの操作は状態側で行っても事象側で行ってもよく、圏同値がその整合性を保証します。

CPTP写像が状態を変換する一方で、CPU写像は事象を変換するので、後者はハイゼンベルグ描像に対応すると言えます。

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本当でしょうか?

何かおかしいぞ

前節で現代的な量子論におけるプロセスの話を展開したときに、CPU写像の型のメタ変数を、CPTP写像の型のメタ変数と逆にしていたことに気づいたでしょうか。

 \displaystyle
F,G^\dagger : DM(A)\rightarrow DM(B)\\
F^\dagger,G : Eff(B) \rightarrow Eff(A)

これは、仕様 です。そもそも、一般確率論的にも、状態と事象は、確率関数によって反転するようにできており、その圏同値は、反変です。 \hom(-,[0,1 ])反変関手だからです。

これは何を意味するのか。例えば、 F:DM(A)\rightarrow DM(B)によって、状態を発展させる、というとき、この発展が時間順方向であるとしましょう。そのとき、これの事象側の対応物 F^\daggerは、時間逆方向です。  F^\daggerは、未来に測定する可能性のある事象を、現在に持ってくる写像なのです。

さて、ここで最初の話に戻ってくるのですが、最初に述べた、Yet Anotherではない、教科書でよく登場するハイゼンベルク描像は、なんと時間順方向です。 ということは、なんとなくYet Another ハイゼンベルク描像とか名付けてみたけど、普通に別物です。一般化になっていません。

つまり、現在2種類のハイゼンベルク描像があるのです。なんということだ。

ちょっとまてよ、じゃあ一体ハイゼンベルク描像ってなんなんだ? というのも、Yet Another ハイゼンベルク描像は一般確率論的な動機づけから出てくるものであり、その操作的解釈はあまりに自然です。逆にこれまでのハイゼンベルク描像は一体何をしていたのか ?状態ではなく、事象を発展させる、というアイデアから、なんでまったく逆方向の写像がでてくるのか?

ハイゼンベルク描像が本当にやっていること

Yet Another ハイゼンベルク描像で、Riesz双対っぽい構成をした時のそれと、 通常のハイゼンベルク描像での整合性要件は、全く同じ形をしています。

 \displaystyle
\mathrm{Tr} U\rho  U^\dagger A = \mathrm{Tr} \rho  U^\dagger A U\\
\mathrm{Tr}F(\rho)Y = \mathrm{Tr}\rho  F^\dagger(Y)

にも関わらず、その解釈は全く逆です。

  • 前者はA \mapsto U^\dagger A Uを時間発展だと主張し
  • 後者は Y \mapsto F^\dagger(Y)を時間逆発展だと主張します。

そんなことってあるんでしょうか?

さてここで、筆者の見解を述べておきます。異論は認めるが認めないかもしれない(えっ)

時間発展解釈を捨てるべきは、古いハイゼンベルク描像です。

かつてのハイゼンベルク描像がしていたことは 時間に依存するゲージ変換 です。

このことを把握するために、視点の回転が要ります。素朴な量子力学では、時間発展とは、あるヒルベルト空間(のトレースクラス作用素の空間)を、ベクトル(か密度行列)が動き回る、というイメージで把握するかもしれません。少なくとも古典力学はそのような形をとります。つまり、時間軸という数直線から、状態空間への写像があり、これをたどることが状態発展だという見方です。

しかし、より一般的なプロセスでは、そもそも異なる時間で同一のヒルベルト空間に収まっている保証はありません。

さらに、この見方はあまりに状態と発展が密結合した見方です。発展は、あくまで状態空間全体への操作です。その作用の結果、発展パスを書けることはありますが、発展の本質はあくまで状態空間から状態空間への写像です。古典力学だって、運動の本質は、相空間の自己微分同型のことです。

そうした場合を含む場合、時間軸に状態空間の要素を割り当てる前に、まず状態空間そのものを割り当てる必要があります。

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バンドルっぽい

これはちょうど、時間軸上に、状態空間そのものをファイバーとして載っているバンドルを考えるようなものです。ただし、一般に全てのファイバーが同型だとは限らない点は違います。

そして、ことなる時間の間に、状態空間の発展写像が入ります。これはCPTPです。ユニタリとは限りません。

事象の側も同様に捉えます。ただし、事象の写像はCPUで、これは状態側とは向きが逆になります。

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state/event

さて、それでは、ハイゼンベルク描像とは一体なんだったのか?

ここで思い出すべきは、量子力学の内容は、基本的にユニタリ同型の範囲で変わらないということです。つまり、事象も状態も全てユニタリ変換するのならば、その変換は相殺されて表に出てこないということです。

この、ユニタリゲージ変換とでも言うべき操作を、各時刻で別々に行う ことを考えます。つまり、 U_iという時間iに依存するユニタリ変換を考えて、時刻 iの状態\rho U_i\rho U_i^\daggerへ、同様に時刻 iの事象 XU_i X U_i^\dagger写像することを考えます。全体のユニタリ変換なので、状態も事象もまったく同じ変換になっていることに注意してください。

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ゲージ変換

このとき、

  • 時刻0の状態\rhoを、
  • 新しいゲージで
  • 写像によって時刻 1に移したもの

  • 時刻 1の事象 A
  • 新しいゲージでの値

で評価をしたいとします。それは

 \displaystyle
\mathrm{Tr}(U_1 F_{01}(U_0^\dagger \rho U_0)U_1^\dagger) (U_1 A U_1^\dagger)

という形になります。

さて、ここで 偶然、まったくの偶然 ですが、

  • U_0 = 1
  • U_1 = U^\dagger
  • F_{01}(\rho) = U \rho U^\dagger

が成り立っていたとしましょう。すると

 \displaystyle
\mathrm{Tr}(U_1 F_{01}(U_0^\dagger \rho U_0)U_1^\dagger) (U_1 A U_1^\dagger) = \mathrm{Tr}\rho U^\dagger A U

となり、先と全く同じ式が得られます。

つまり、ハイゼンベルク描像とは、事象の時間発展ではなく、 時間発展に相当する操作や写像は別途存在する上で、 時間に依存するユニタリゲージ変換の一種で、それが状態の時間発展を相殺する場合なのです。

ハイゼンベルク描像と、一般確率論の双対性で、時間の方向が逆になっているように見える謎がここでとけます。  A\mapsto U^\dagger A Uという変換は、時間発展ではありません。 この変換の前後で、作用素は 常に時刻 1の事象空間の中にあり、状態の時間発展を相殺するようなユニタリの、時刻1の変換がそれだったということです。

P.S.

はてなブログでのTeX体験がつらい

(幾何厨としての)信仰告白

まず、関心のある系があります。

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これは絶対的なものです。なにか知らないがとにかく"在り"ます。 しかしあるだけでは地上の民の我々にはまったくそれに触れることも知ることもできません。 我々は、いくつかの馴染みのある(数学的)構造を持っています。例えばユークリッド空間などですが、他にもあるでしょう。 そこで、天界におられる系に、我々の良く知っている構造に降りてきて頂きます。

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自明化

この写像、天界からの使い、使徒たちを、成分表示だとか、自明化だとかいいます。 こうして我々は馴染みのある構造に天界の系の影を見出すことができます。 系はとても複雑ないし大きなものであられることがあり、こうしたことは、系全体でなく、一部について行われることもあります。 まことに天界の系は大きなお方であり、使徒達を通じたとしても、私達にはその姿を一望できるとはかぎりません(一望できることもあります)。

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部分的な自明化

天界の系は、まことに精妙なことに、私達がそれに見出そうするさまざまな振る舞いを持っています。あるものは代数構造を持っています。あるものは、また他の系との派生関係や写像をもっています。自明化はそうした系の方々のお姿も私達に示してくださいます。このようにして、我々は天界の系のお姿を、地上の物事の振る舞いを通じて、さらによく知ることができます。

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構造

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構造

私達が天界のこうした振る舞い、代数構造、派生構造、関係について述べる時、私達は畏れ多くも、それを「定義する」と呼びます。 このようなこと我々がするのは、やはり我々が直接触れるものが、地上のものに限られるからです。 私達は天界の系の関係や性質をよりよく知るために、その模造物(👆の N,Mなど)を地上で作り上げる必要があるのです。 その模造物が天界の系をよく反映するように、上記のような可換性を要求します。これは準同型性だとか関手性だとか呼ばれているものです。

ここで、重大な真理があります。系のお姿を我々にお示しくださった自明化 \Phiは、ただ一つのものではないことがあります。天界の系はただ一つの方ですが、それが我々の目に映る時は、一般にさまざまな姿をとられます。

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異なる姿

彼らは私達に系のお姿を知る機会をもたらしますが、また、系のお姿を誤って見せうるものでもあります。私達は、こうした自明化たちに正しく向き合い、系のお姿を正しく捉える必要があります。自明化が私達に見せたユークリッド空間の影は、まさに影なのであって、影そのものをいかに凝視しても、系の真のお姿はそこにはありません。

幸いにも、自明化達は、ある構造をもっています。それは私達が群と呼んでいるもので、しかしそれ自体は群ではありません。自明化たちは、群が推移的に作用することができるものです。つまり、ある自明化を群の単位元に対応させた時、他の自明化がすべてその群の元として相対的に決まるようになっています。このような群を構造群だとか、ゲージ群だとかよび、ある場合には、自明化達のことを主束と呼びますが、ここでの考え方はゲージ理論に限ることではありません。このような見方は至るところに見いだされ、実質、私達が天界に向き合うにあたって、このことから逃げることはほとんど不可能でしょう。

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構造群

私達が天界の真理を知るためには、こうした自明化たちを振る舞いを取り除く必要があります。自明化たちを切り替えた時に、それが群で書かれる、ということは、つまるところ、私達が作っている天界の模造物には、群が作用するということにほかなりません。

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群作用

しかしながら、この群作用は、私達が自明化の使徒達を介して天界を仰ぎ見るときの、単なる見方の違いに過ぎません。この群は、系それ自体には作用していません。

私達は、天界の振る舞いを知るために、天界が持っている構造や関係や派生構造について、それらの地上の模造物を「定義する」ことを試みます。

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地上の模造物

しかし、すでに見たように、自明化 \Phiは、天界の姿を多様に変化させて、私達に見せようとします。私達は天界を仰ぎ見るにあたって、それらの変化を割り引く必要があります。つまり、自明化を相対化する必要があります。ここで、私達にできることの、2つの両端があります。

ひとつは、 Nを、自明化に完全に依存させることです。今現在、天界のお姿を我々に示している自明化 \Phiがなんであるかを完全に把握した上で、それぞれの自明化ごとに、模造物の演算 N_\Phiを次を満たすように作るというものです。

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各自明化の間の関係

これは確実に動作しますが、とても骨が折れる作業です。当初の自明化 \Phiと異なる自明化に対して、いつでもそれを計算する用意が求められます。つまり、 g\in Gに対して、すべての N_{g\Phi}を計算する必要があります。例えば、直交座標で定義したラプラシアンを、任意の座標系で計算しようとすることを考えてみましょう。

もう一つの問題点として、今現在参照している自明化が、本当に \Phiなのか?ということを、私達が知ることが不可能だという点です。それはニュートン的絶対座標のようなもので、ある種のものは、事実不可能です。私達は、自明化の使徒の名前を知ることができず、ただかれらの階級とその群構造についてだけ知ることができます。

逆方向の極限は、最初から、ただ一つの Nを定義するということです。つまり、自明化に作用する表現 \rho(g)達にたいして、次が成り立つものだけを考えます。これは、まさしく天界がそのようなものを自然に備えているとき、しばし可能になります。これは自然変換だとか、intertwinerだとか呼ばれています。

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intertwiner

このようなことができるとき、間違いなくそれは天界の秩序を示しています。しかし、こうしたものは一般には希少です。私達は畏れ多くも、地上の模造物から得た着想の、天界での対応物を知りたいと思うことがあるでしょう。しかしそうしたものが、この形で得られる保証はありません。

幸いにも、私達はこれらの折衷的なことができます。自明化の使徒たちに階級が存在し、その階級が構造群の部分群として現れることがあります。例えば、平坦な多様体の接束において、一般の座標系からくる成分表示はすべての自明化です。それらは可積分な局所GLを構造群にもちます。そのうちで、直線座標からなる部分を取ることができます。それらは大域的なGL(n)を構造群に持ちます。さらに、計量をつかって、直交座標からなる部分を取ることができます。それらは大域的なO(n)を構造群に持ちます。

すなわち、次のことをするのです。まず、自明化の階層を把握します。

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自明化の階層

そして、  \Phi_j , j \in \Sigmaについてだけは、 Nをただひとつのものになるようにし、 それ以外の \Phi_i i \in \Lambda , \notin \Sigmaについては、 \rho(g)それ自体を使って定義します。

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intertwiner/手動定義の折衷

例えば、我々はユークリッド空間のラプラシアンを、任意の直交座標にたいして同一の定義で与えます。それは実際に一致します。しかしそれ以外の座標系については、泥臭い座標変換を実行します。

また例えば、ニュートン力学が、絶対座標系を知ることなく、ただ慣性系であれば、運用することができたのも、また、その運動法則が、慣性系においてのみ不変であるのも、こうした折衷によるものと言えます。つまり、ニュートン力学における Hとはガリレイ群だったということです。そこで、私達は様々な力や運動を、慣性系についてだけ定義すれば良くなったのです。慣性系においては、力は、0を原点として加法性が成り立ちました。非慣性系においては、慣性力が原点となるため、加法性が成り立たなくなりますが、そのことは計算によって確かめることができます。

以上が幾何厨の信仰告白です。要約すると以下のようになります。

  • まず、天界に系があります。
  • それを私達がユークリッド空間の要素であるかのように扱えるのは、ひとえに自明化の御業によるものです。
  • しかし、自明化は一意的ではなく、また極めて多様に行うことができます。
  • したがって、我々が、天界の何かを定めて操作するためには、その定義時に参照している自明化を固定するか、または、その定義が自明化に依存しないことを確認しなくてはなりません。
  • 自明化が、その構造群に基づく階層構造を持っていれば、ある部分については自明化に依存しないようにさだめ、それ以外については、直接計算する、という折衷をとることができます。我々は直線座標や直交座標を都合よく採用することで、これを無自覚に行っています。
  • この「自明化を相対化する」という作業は、 絶対に、絶対に、絶対に、避けることができません。すべての人が背負っている原罪です。

さて、この点を考慮に入れた上で、度々見られる次のような軸性ベクトルの導入が、幾何厨の信仰に著しく反したものであることを説明できます。

三次元ベクトル V, W 外積を、その成分について (V \times W)^i = \epsilon_{ijk}V^j W^k としたとき、パリティ反転にたいして、外積の成分は変化しない。このようなものを軸性ベクトルとよぶ。

敬虔な幾何厨からみたとき、これが以下に間違っているかを述べましょう。

  • 三次元ベクトルは天界におり、成分表示は、なんらかの自明化によるものである。
  • ベクトルであるから、この自明化の構造群は GL(3)である。
  • 外積を三次元ベクトルの、天界の演算として定めようとしている。
  • この定義をある自明化について (V\times W)^i = \epsilon_{ijk}V^jW^kであるとした。
  • この定義は、 SO(3)\subset GL(3)については、不変であるが、他では不変ではない。
  • 自明化のパリティ反転を行ったならば、パリティ反転は \notin SO(3)であるから、計算規則は不変ではない。

この議論の罪深いところは、不遜にも、地上での成分の計算規則を、天界の演算そのものだと誤認したことにあります。成分によって計算できるのは、天界に居られるベクトルの、地上での模造物であり、それが天界の構造を反映していることを保証するためには、自明化を相対化しなくてはならない。しかしこの者は、 (V\times W)^i = \epsilon_{ijk}V^jW^kという計算規則が立脚している自明化を相対化することなく、その不変性が保たれないような自明化の入れ替えを行い、それについて誤った解釈をしました。このものが見た軸性ベクトルとは、自明化の使徒が見せた亡霊にすぎず、天界にはそのようなものはないのです。

MMTに入門した

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話題の理論に入門してみました。当方経済専攻でもなく、特に深い動機があったわけでもないし、政治的なあれこれの関心があったわけでもないです。

というよりは、僕はとにかく人間や社会における政治性がとにかく嫌いで、可能な限りそうした政治性や歴史性が脱色された機構的おもちゃが好きなのです。歯車とか。ピストンとか。経済の知見を得るとしたらなるべくそういう形の知識がほしい。物語性は敵であり総合性も敵です(えっ)。

そういう気持ちもあり、流行り物は好きではないのですが、流行り物だから拒否するというのもそれは不毛な逆張りだし、政策パッケージとしてのMMTとしてではなく、貨幣理論としてのMMTなら多少なり楽しめて得るところがあるのではと思ったのでした。

で、結論からいうと、得るところはありました。👆の本はだいたい米国事情ベースなのでそのあたりはよくわからなかったのですが、 貨幣理論としてのMMTの、少なくとも原理的な面はとてもシンプルで、

主権不換貨幣の総量は政策上の自由に操作可能な変数であって制約や目標ではない

というか、コレ以外の点はごく常識的で、実質的にマクロ経済の財政上の境界条件だけを修正したもので、 理論上は異端でもなんでも無い気はします。その境界条件だけ取り上げるとまた怪しく見えてしまうのですが...

というわけで、以下感想がてらに素人なりの理解を記しておきます。

貨幣価値 is 何

正直なところ、本当に内容は先の一行で説明が終わってしまっているのですが、 もうすこし踏み込むと、MMTは次のことを説明するように見えます。

貨幣とは何でその価値は何で担保されているのか?

通常、商取引で貨幣を支払うということは、取引商品とその貨幣が価格的に見合っているからこそ行われるのだと考えられます(その"価値"とは何で、どう測るかという問題はありますが、とりあえず取引主体が「交換してもいいかな」と思うことだとします)。すると、貨幣にはなんらかの価値があることになりますが、それはなにか?

AがBから財Xをn円で購入するとき、少なくともAのn円の価値はX以下に、またBはn円の価値をX以上に見積もっていないと成立しません。価値観の相違を許したとしても、少なくともBは貨幣価値を理解していないといけないことになります。つまり、Bはn円になんらかの価値を見出しているわけですが、それはなにかということです。

ここで話がめんどくさくなるのが、貨幣の通用性で、例えばAは、貨幣はBにとって価値があるなら、Bの財を引き出すためのトークンとしてAにとっても貨幣の価値がつきます。同様に、貨幣がCにとって価値があるなら、Cの財を引き出すためのトークンとしてBにとっても貨幣の価値がつきます。

つまり、「自分以外の誰かにとって価値がある」という性質はそれ自体が貨幣の価値の"可能性"の分枝に含まれるわけです。これはなんか、集合の帰納的定義みたいなやつで、通用性は貨幣の実効的な有用性の幅を広げるわけです。通用性が広がると、たとえばn円の貨幣は何時でも財Xと交換できるので、n円のほうが嵩張らないのでn円で持っておくか、ということができるようになります。つまり、その貨幣をユニバーサルな貯蓄として使うことができるようになります。

じゃあ、そうした再帰的な有用性の波及"だけ"で、貨幣が貨幣として機能するだろうか?と考えると、これは微妙な話になってきます。というのも、そういう意味の価値だけでいいなら、これは完全に流通コミュニティの価値観の安定性の話になってしまい、また実際そうして成立するトークンは存在して、暗号通貨とかはある意味そういう例に見えます。あれは一切の兌換性ももたず、アルゴリズム的に示量性が保証されていて、限定的ではあるのもの市場が存在します。ただし、ドルや円だとかの法定貨幣にくらべて、ビットコインボラティリティ(変動の大きさ)は数十倍から数百倍あるわけで、資産や貯蓄として使うには非常に不安定です。さらに、通用性も非常に小さいです。暗号通貨を直接受け取ってくれる小売店は、法定通貨のそれとは比べ物にならないくらい少ないです。これはまさしく貨幣価値の担保がない事を反映しているように見えます。何の使いみちもないレアメタルを取引しているのと同じです。金のほうがまだ工業的使いみちがある分なんぼかマシかも。

租税貨幣論による担保

そう、法定貨幣、これが違いなのです。貨幣価値を担保するには、それに何らかの財なり権利が付与されているとするのが一番明快ですが、MMTはここで租税貨幣論をとります。つまり租税支払いに使える唯一のトークンなので、貨幣には価値がある(このことが法で定められているので法定)。何らかの政体の及ぶ地域に在住していれば、なんらかの租税が課されます。その支払いを怠ると、最終的にはなんらかの権利が剥奪されます。つまり、徴税状態は人権の次くらいに根源的な負の価値があり、それを解消できる(しかも貯蓄しておけば将来にあたってずっとそれができる)トークンである法定貨幣は正の価値があります。

ということで、貨幣それ自体には、租税支払いトークンという価値担保があることになります。

この租税支払いトークンとしての貨幣は、同時に債務証書としてみなすこともできます。つまり、権利証書のことですが、例えば借金手形は、「私phykmは何時までに何円返します」という証券のことで、それは言い換えれば「この券の所有者は何時以降phykmから何円もらえる」という権利であり、それがこの紙切れの価値を担保しているわけです。

一般に債務証書は、場合によっては不渡りを起こしえます。債務不履行というやつで、こうなった場合は、証券価値は消しとんでしまいます。通常はそうした証券の市場取引価格に、その分のリスクプレミアムが上乗せされるわけです。

では、貨幣を債務証書だとみなすとき、その内容はなんでしょうか? そうした契約書が存在するわけではないですが、法定貨幣故に、実質的には租税支払いを二通りで言い換えたものになり、

  • 債権として: この券の所有者は、本券を債務者政府に手渡すと、租税義務のうち額面分を減免される
  • 債務として: 債務者政府は、本券を受け取ることで、所有者に政府が課した課税義務のうち、額面分を減免する

ということになるわけです。すると、この場合、法定貨幣の「債務不履行というのがどういうことか理解できます。つまり、

  • 法定貨幣の債務不履行:租税支払いを指示通りに法定貨幣で完了したにもかかわらず、脱税とみなされて捕まる

という状態がそれです。まともに税制を運用している国家であればありえない状態であることが理解できます。

また、直接債務不履行を起こさなくても、貨幣価値の可能性が消滅するという状況がどんな場合かを考えることができます。(ここでは一旦為替:異なる貨幣間の相対価値のことは考えないとします)。つまり、租税による貨幣価値担保が消失することで、

  • 完全な無税状態になる、または税制が設定されているが、強制力がなく、脱税が極めて容易である

という状態になります。これもまともに税制を運用している国家であればありえない状態であることが理解できます。 (もちろん、税制が消滅しても、それは貨幣価値の担保の可能性の一つが消えるだけなので、通用性のみによる価値は残ります)

税制が消滅とまでいかなくても、例えば減税や増税を行ったときにどうなるか、ということを考える事もできます。租税回避は、消費主体の選好のなかでもかなり強い傾斜がかかっているだろうことは予想できます。なにせ権利が奪われるので。

となると、消費主体の予算が一定であれば、税を重くすると、それだけ租税回避(支払い)に所得が食われ、それ以外の消費行動に割り当てる貨幣が減ります。すると、他の財を消費できなくなるので、需要が下がり、取引価格は落ちます。つまり、デフレ圧となります。逆に税を軽くすると、事実上可処分所得が増えるので、この逆が起きるわけです。ちなみに増税した場合、物価(実物財あたりの貨幣量)は下がりますが、同時に貨幣価値(単位あたりの貨幣そのものの価値)も下がっています。なぜなら、「税を回避する」という固定価値を獲得するのに必要な貨幣が増えているからです。

このあたりは市民的直観にも敵ってますね。なお本国はデフレなんだから減税しろという声も虚しく0->3->5->8->10と増税の一途をたどっています。

無限に刷れる理由

さて、貨幣価値が担保されたので、政府は安心して貨幣を刷ることができます。

何故か? 貨幣価値を担保している政府の債務とは、ゼロ円以上の税制を敷かれている前提で、 「発行貨幣による租税支払いを受領する」ことでした。 これは無限に履行できます。つまり、 無限に「借金(債務証書の発行)」をして、その「履行(租税支払いを受け取る)」ができます。 具体的には、支払ったその人を支払い済みリストに追加し、受けとった貨幣をその場で破り捨てるだけです。履行済み債務証書なので。

このあたりは「税は支出のための財源」という考えが間違っていることも示しています。すなわち、 貨幣価値の担保は「政府への租税支払い券」なので、それを履行した段階で貨幣は本来消滅するはずです。 政府の会計で、租税収入を支出に回す、というのは、履行済み債務証書を印紙代がもったいないからと言って再び使うようなものです。普通に考えれば支出にあたってすべて新規発行すればよいのです。一部twitterのMMTerの方々が、「税収とはお金を潰すこと」みたいなことを言っていますが、これは債権証書として考えれば文字通りの意味です。

おそらくMMTの反直感的な点は、貨幣という、日常的には当たり前に価値のあるものが、無限に刷れるわけがない、という気持ちだと思います。しかし、ここで見たように、実際には貨幣を債務証書とみなすことができ、さらに政府はちゃんとこの債務を履行しているわけです。そしてその履行の総量には物理的制約がない。これが無限に刷れることの理由です。(逆に言えば国家消滅の危機みたいな、税がなんぼのもんじゃいみたいな事態になれば、貨幣価値担保も怪しくなる)

貨幣以外にも、自国通貨立て国債も任意の額発行できます。これも不履行になりえません。あえて政府が償還を拒否すれば起こせますが、そんな馬鹿なこと(ちょっと見てみたくはある...)をするくらいなら貨幣を刷るか、借り換えるでしょう。自国通貨なので満期償還時に必要なだけ刷ればよいからです。というか、国債というのは、実質的には時限と利子がついた貨幣のことです。利子以外の部分は、「印刷したこれは貨幣だったのか否か」の判断を満期償還時まで遅らせることができる貨幣です。

ということで、

  • 主権(発行権と徴税権をその政府が持っている)
  • 不換(他の財や他国貨幣との兌換性を政府が保証しなくてよい)

な貨幣は、 その政府にとって、制御可能な変数です。制御可能とは、 政策によって自由にその総量を調整できるということです。 例えば増税するか、支出を絞れば、貨幣総量を減らせます。逆に減税する(恒久的無税にまではしない)か、貨幣を刷って支出すれば、貨幣総量を増やせます。貨幣総量を増やすことを財政赤字と呼び、貨幣総量を減らすことを財政黒字というわけです。

そして貨幣は、こうした任意の制御が可能な"唯一の"財です。

つまり、貨幣は自由に操れるが、それ以外の実物財が操れる保証はないのです。

このことはケルトン本でも何度も強調される重要な点ですが、 政府は国民によい生活なり環境なりを提供するために色々やるわけですが、 例えば、うまい飯を食わそうとしても、農地と農業従事者が無ければどうしようもなく、 ハイテク機器でIoT!などとのたまっても、ハイテク産業の工場と技術者が無ければどうしようもない。 情報人材!介護人材!と叫んだところで、教育された人材、または教育インフラが整ってなければ、出てきようがありません。 かと言って、当然政府がそれを持っているわけでもありません。 したがって、これらは間違いなく示量的な財に関するビジョンですが、政府はこれを直接操作できる保証がありません。

しかし、主権をもつ貨幣だけは制御できます。税制を変更し、貨幣を印刷するか、租税支払いを受領すればよい。 そして、少なくとも国内に関しては、その貨幣の需要は租税の存在で担保されているため、 国内市場にある財に関しては、刷った円でそれを購入できます。もちろん政府が消費するわけではないので、 それを然るべき必要な場所に変換して配置します。つまり実質的には支出というのは国内の財の再割当てのことです。

つまり、もし政府が財Xが沢山欲しいという場合、国内調達する手段としては、

  • Xの生産部門に支出(投資)して生産力を上げてもらう
  • 生産力が上がるのを待つ
  • Xを購入する

財Xがもういらないとあれば、

  • Xの購入をやめる
  • 必要に応じて労働者の再就職を支援する

みたいな手続きを踏む必要があるわけです。つまり、 貨幣をどのタイミングどこに割当て、どこから取り、その結果実物経済に何が起きるかだけが問題であり、 その収支は問題にはならないことになります。

ということでケルトンは著書のなかで「本当の制約は実物財の方だ」という旨のことを何度も強調しているわけです。

貿易を考えると、もう少し政府が打てる手段は変わりますが、主権不換貨幣の総量をコントロールすることについて制約が無いことは同じです。自国通貨換算で貿易赤字(相手国が自国貨幣保有を増やしている)であっても、だからどうということにはなりません。むしろ自国の公的決裁にしか使えないトークンをもらって実物財をよこしてくれているのでありがたい話とも言えます(とはいえ輸入目的で無限に刷れば自国通貨安になって輸入が持たなくなるため、それは考える必要がある。相手国にとって、この貨幣の価値は自国経済の財を購入できるという点なので、例えば貨幣を刷って輸入すると同時に、自国産業にも投資して強化する等)。

つまり、財政の主要な課題というのは、政府が赤字かどうか(支出と税収の差額)ではなく、

  • 税をどのくらい課すと、実体経済にどのくらい影響があるか
  • 支出をどこにどのくらい行うと、実体経済にどのくらい影響があるか

という点(のみ)です。もしここに望ましくない効果が予想されるなら、それは調整する必要があります。よくMMT批判として出てくるインフレ懸念もこの一部です。例えば、民間需要がある財Xを政府が(例えば輸出のために)買い占めたりすれば、供給が不足して価格が上がります。またありえない話ですが、支出において一切財を購入することなく、一人当たり1億円を配るみたいなことをすれば、それだけ価格も上がるでしょう。こんな馬鹿げた額を唱える人はいませんが、これが10万とかであれば、現にこの間の特別給付で実施され、結果として大した問題もなかったということになります。

不換貨幣の発明

こうしてみると、主権不換貨幣というのはものすごい発明に思えます。

まず不換性ですが、以前は幾つかの通貨は金と貨幣の兌換性があったわけですが、これはどういうことかというと、政府が金と貨幣のコンバーターとして振る舞う必要があるわけです。これが市場に任されていれば、価格変動によってどこかで均衡するはずですが、兌換性を保証してしまうと、 「物理的に異なる2つの財のコンバーター」という、そのものからして物理法則に反する機能を政府や銀行が押し付けられてしまうのです。 物理学のアナロジーを考えれば、これは無理筋だと想像できます。例えば「1リットルあたり1ジュールで交換します」みたいな機械が破綻をきたすのはほとんど明らかでしょう。だから、物理法則がその互換性を保証していないような財に対して、兌換としてはいけなかったのです。あるいは、その総量を常に把握して管理する必要がある。

それから主権ですが、貨幣を刷っても、それに需要がなければ広く使われることはないわけです。兌換性はそのわかりやすい担保でしたが、物理的に無理がありました。また通用性と示量性だけでは暗号通貨のように限定的にしかならないし、価値も不安定になります。そこで、租税に関連付けることで、行政の届く範囲において広く普遍的な需要を喚起でき、決裁・貯蓄手段として普及させることができます。この貨幣の債務は税の受領という抽象的な行為で行われるため、履行は無制限にできます。つまり、政府が発行することについて特に制限はない。物理学のアナロジーで言えば、全ての熱力学系に、貨幣という新しい示量変数を追加するようなものです。政府はこの貨幣の熱欲を持っています。 不換なので別の財との交換を政府が求められることもなく、それは市場が勝手にやります。 常に偽造を取り締まるというコストは掛かりますが、貨幣自体の物理的価値がほぼないことと合わせて、政府は貨幣総量を自由にコントロールできるようになります。

そうすると、どうやってこのシステムが成立したのか?という疑問も出てきます。また、主権不換通貨がよくできたシステムなら、とっととそうでない国もそれに移行すればよいのではないか?

これは歴史的経緯や国際関係が効いてくるはずで一概には言えないでしょうが、例えば国内産業に乏しく、生活必需品の大半を輸入に頼っているような国の場合、そもそも独自通貨を発行しても、支出先が無い(受け取ってくれる自国産業がない)ということはありえる気がします。すでに生活の大半が外貨で回っている場合に、新規貨幣に乗り換えさせるに十分な需要を喚起するには、租税を用いても難しいかもしれません。その意味ではいま現在このシステムを存続させている国はある意味幸運かもしれません。

Fock空間 via StringDiagramで完全理解する確率過程:Revisited portal

以前

 

phykm.hatenablog.com

を書いたのですが、実はこの議論の背後にStringDiagramによる極めて雑な計算が隠れており、それを端折った故に、謎の数式が書かれただけの怪文書になってしまっています。

 

あれから色々続編を考えおり、その結果として、割と話が膨らんで面白くなってきたんですが、しかし計算につかったString Diagramをタイプセットするのは異常につらく、かつ計算も雑なためにきちんと定式化/フォーマルな文書にまとめるモチベが低く、あれそれしているうちに半年が過ぎました...

 

しかしこのまま放置するのもどうなんという思いと、一抹の数物的寂しさを覚え、もう手書きでいいからダラダラと書いたものを公開してしまえ、という気分になったため、iPad使って計算を書き直して公開していくことにしました。

 

個人的な書きやすさから、本体をesaに書いており、記事をはてなに移そうかと思ったものの、tex記法が非互換などでハチャメチャに面倒なので、ここをポータルにします。書き次第追加していきます。esaにはコメントできるかわからないので、なにかありましたらtwitterかこの記事へオナシャス

 

パート1(Boson Fock via String Diagramと色々概念対応)

10/8 up

esa-pages.io

 

パート2(Gauss過程/Poisson過程/Levy過程とLevy Khinchine定理)

10/8 up

esa-pages.io

 

(予定)

パート3(Parthasarathyの伊藤積分と伊藤公式についてホニャララ)

パート4(二乗可積分マルチンゲールをどうにかする)

パート5(確率過程を微分する)

パート6(なんか応用する)

理想気体を定義する

大前提として次のような考えに基づきます。


ポアンカレ補題を考慮に入れれば、熱力学系を定義するためには、次が得られれば十分であることになります。

  • 状態方程式 or または状態方程式についての条件式、の集まりであって、
    • 示量/示強に整合的であり
    • Maxwell関係式を満たし or 満たせるように補完でき
    • 熱力学関数の微分1形式の全成分を定義するのに十分なもの


 ところでいくつかの(要出典)教科書では、その早い段階で理想気体を次のように定義します。
 C_V \left(= T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)\right)= cNR
 p=NRT/V
しかしこれがなされるのがカルノー定理・絶対温度エントロピー原理の宣言より早い段階であるため、絶対温度については循環定義になり、またそれを仮置いたとしても、そもそも「熱力学系が定義される」ことがどういう意味なのかが曖昧となり、本当にこれで系が定まっているのか確かめようがありません。

 で、結論からいえば、(絶対温度エントロピーの定義を終えたあとである:冒頭の考え方が確立しているとして)これで確かに熱力学系が定義されています。このことを確認します。

 なお、この記事で最終的に計算される理想気体の表式はすでに
田崎先生の熱力学*1に記載されているのでそちらを読みましょう。


 理想気体の定義では T,V,Nを参照しているので、ヘルムホルツ自由エネルギー F(T,V,N)を作ることを考えます。このためには dFにあたる各成分を ddF=0を満たすように定義する必要があります。

 理想気体の定義のうち
 C_V \left(= T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)\right)= cNR
状態方程式についての条件、
 p=NRT/V
状態方程式と見なせます。熱力学関数のためには状態方程式は3つ必要なのに2つしかありません。そこでMaxwell関係式でこれを膨らまします。
 
 まず慣習的に dF = -SdT-pdV+\mu dNとおきます。これに対するMaxwell関係式 ddF=0
 \frac{\partial S}{\partial V}=\frac{\partial p}{\partial T}

 \frac{\partial p}{\partial N}= -\frac{\partial \mu}{\partial V}

 \frac{\partial S}{\partial N}=-\frac{\partial \mu}{\partial T}

です。

  Sを決めます。
 \frac{\partial S}{\partial V}= \frac{NR}{V}なので積分定数 f(T,N)を置いて
 S=RN\log(V f(T,N))
と置いてよいです。すると f(T,N)を決める必要がありますが、理想気体の定義より、
 T\frac{\partial S}{\partial T}(T,V,N)=cNR
なので、これを使ってすこし計算すると、やはり積分定数 k(N)として
 f(T,N)=T^c k(N)
と解けます。ところで、 Sは示量的であったので、 k Nの負の一次でないと困ります。結局勝手な定数 lをとって
 k(N)=lN^{-1}
です。これで
 S=RN\log(VN^{-1}T^cl)
と決まります。

  \muを決めます。同様に
 \frac{\partial \mu}{\partial V}=-\frac{RT}{V}
なので積分定数 g(T,N)を置いて
 \mu=-RT\log(V g(T,N))
と置いてよいです。 g(T,N)を決める必要があります。 \muの示強性のためには g N依存性はやはり負の一次でないと困るので
 g(T,N)=h(T)N^{-1}
とおきます。 Sはすでに決定しているので
 \frac{\partial S}{\partial N}=-\frac{\partial \mu}{\partial T}
を展開して使います。結果は
 \log h(T) + T\frac{d}{dT}\log h(T)= c\log T +\log l -1
ですが、解きにくいので h(T)=m(T)T^c l e^{-1-c}とおいてみます。すると
 \log m(T)= -T\frac{d}{dT}\log m(T)
でこれは積分定数 rとして
 m(T) = e^{T^{-1}r}
と解けます。すべて代入すれば
 \mu= -RT\log(VN^{-1}T^cl)-RT(\log l -1-c)-Rr

 結果として、 ddF = 0を満たすような dF = -S dT -p dV + \mu dNの各成分
 S= RN\log(VN^{-1}T^c) + RN\log l
 p = NRT/V
 \mu = -RT\log(VN^{-1}T^c)-RT(\log l -1-c)-Rr
が得られたため、理想気体 Fが定義できていることがわかりました。
熱力学関数は一般に2変数の不定性があるので、 r,l不定性は妥当です。

経済学的たとえ話

 ある人がいる。このひとは各種財 X= (X_A,X_B \dots)を所有している。その所有量のベクトルを x=(x_A,x_B\dots)としよう。もちろん

 x \in \mathbb{R}_+^n

だ。彼はこの Xという財の所有パターン x = (x_A,x_B,\dots)について、評価額をつける。

 S(x)

これは凸関数であると期待できる。なぜなら、あまりにたくさんの財を持っていても面白くない。しかし、欠乏していれば少しでもありがたい。だから S(x)の値は
 Xの増加に対して、最初は急に、あとで緩やかに増える。いわゆる限界効用逓減の法則というやつだ。

 さて、彼の他にも同じ種類の財の所有者がいたとする。その人も、所有する財に評価額をつけている。この二人の評価額関数を S_1(x_1)および S_2(x_2)としよう。
あるとき、二人は、お互いに物々交換をすると、いい感じにお互いの評価額の総和が上がる可能性に気づいた。

 ここで、取引参加者は常に総和を見ていることがポイントである。この二人は全体の福祉を大変重視している! 財をそのひとにプレゼントすることで、自分の所有物の評価額が減るかもしれないが、それ以上に相手の評価額が上がるならそれもよしとする人々である!すばらしい助け合いの精神!


 そこで、お互いの財を交換して、評価額を上げることにした。どのくらい取引をすると最大に達するかは、二人の S_1,S_2関数による。
財は保存的に交換されることを考えれば、二人が X_Aについて財の交換をやめるのは、


 \frac{\partial S_1}{\partial X_A}(x_1)=\frac{\partial S_2}{\partial X_A}(x_2)


が成り立つときだ。この条件がなりたつところまで彼らは物々交換をして、大変満足した。
満足したので、彼らはいつでも可能であればこのような交換取引を引き受けることにした。
 \frac{\partial S_i}{\partial X_A}を、人iAについての取引価格と呼ぶことにしよう。



 さて、こういう取引を気前よくやるひとたちが大量に集まったとする。彼らが持っている財のトータルは莫大なので、彼らと財  X_Aを少しくらい取引しても、彼らは彼らのうちですぐに他の取引をし始めて均衡に戻る。このため彼らの取引価格はちっとも変わらない。こうした集団は市場をなすと言える。つまり理想化すれば、財 X_A市場とは常に一定の取引価格でのみ取引に応じてくる。財 X_Aを取引価格 p_Aで取引してくれる市場は、いわば S_r(x_A)=p_Ax_Aという評価額関数をもつ仮想的な人のようなものだ。



 このような市場にかこまれている人は、当然自分の取引価格が p_Aになるまで即座に取引をするだろう。こういう市場に囲まれている人同士の間で、 X_A以外の財を取引しようとしたとする。このときは、取引でなにか不都合があっても、その埋め合わせを即座に市場との X_Aの取引で補償して、より円滑な取引をするだろう。だから、 X_A以外の財( X_Bとしよう)の評価額は、こうした補償を差し引かなくてはいけない。財 X_Aの価格 p_Aでの市場にいる二人が、市場を含めた全体の評価額を最大化しようとすることは、次のような量の和を二人の間で最大化することに等しい。

 \phi_i(p_A,x_B)= \max_{x_A} S_i(x_A,x_B)-x_Ap_A

このルジャンドル変換の形が、彼らが常に市場を含めた全体の福祉を考慮に入れていることによる補償項である。なんという善良な人々だ!


 さて、あなたは財の流通をコントロールする政策担当者だとする。このような善良な人々が取引をしている様子をみて、ある人の財 X_A保有量をコントロールしたいと思った。あなたは行政上の権限を使って、その人から X_A以外の財を取り上げたり与えたりすることはできるが、自由経済に守られた  X_Aをどうこうすることはできない。というか、与えてもすぐ市場との取引で原状回復するだろう。また、その人の他の財を取り上げると言っても、その人からみて、市場を含めた全体評価額を下げるような取引はもちろん応じてくれない。当然だ。これだけすべての取引で公共の福祉を優先する人に対して、全体でも損をするような取引を行政が強いてきたと知られたら、あなたの上司は次の選挙で落選するだろう。


 あなたは X_Aの価格 p_Aによる市場のもとで、この人に財 X_Bの与奪を持ちかけることで、この人が X_Aどれだけ手放してくれるかに興味があるとする。その人の X_A保有量に興味があるから、この人の評価額関数の逆関数を次のように採ったとする。

 X_{A,1}(s_1,x_B)

ここには市場もある。この人は市場を合わせた全体評価額の最大化に大変気を配っているのだから、市場の X_A補償も考慮に入れねばならない。市場の評価関数は線形だったから、これの逆関数は単に

 X_{A,r}(s_r) = p_A^{-1}s_r

である。あなたはこのひとに X_Bについて x_B \rightarrow x_B^\primeという取引を持ちかける。このひとは当然その取引の補償を、市場との X_Aの取引で行うだろう。しかもその間、 X_Aを市場と取引して、市場を含めた全体の評価額を減らさないようにするはずだ。あなたは頭を捻った結果、うまくやれば、この取引でこの人が市場に放出してくれる X_A

 X_{A,1}(s_1,x_B) - p_A^ {-1} s_1  - \min_{s^\prime}  (X_{A,1} (s^ {\prime},{x_ B}^ {\prime})-p_A^ {-1}s^ {\prime})

であるとわかる。ところで  x_ B \rightarrow {x_ B}^ \primeというのは試験的に考えた取引だ。この人が x_Bという初期値を持っているとは限らないから、もっと勝手な値をとったときにどうなるかを考えたい。だから本当に興味があるのはいろんな  x_B^ \primeについてのこの量の相対値だ。そこで

 F({p_ A}^ {-1},x_ B) = \min_ {s^ \prime} (X_ {A,1}(s^ \prime,x_ B)-{p_ A}^ {-1}s^ \prime)

という量をあなたは定義した。これは、このひとに X_Bの取引を持ちかけたときに放出してくれる X_Aの量を計算するポテンシャル関数だ。 X_Bの取引を持ちかけたとき、うまくやれば、この人は F({p_A}^{-1},-)の差分だけ X_Aを手放してくれる。


以上のオハナシで、

  • 財:示量変数
  • 評価額:エントロピー
  • 取引額:示強変数
  •  \phi:マシュー関数
  •   F:自由エネルギー

とすると通常の熱力学になります。