射影とマラ9がありました
1.射影仮説
というのがあります。これは量子力学の「公理系」に入ってたり入ってなかったりあるいは面倒なのでそもそも公理を明示しなかったりと言うこともありますが、
大雑把に次のような感じの「公理系」の一つとして組み込まれます。
- ある種の確率論をヒルベルト空間の作用素を使って表現します。その方針は以下です。
- 状態はベクトル射線、またはそのシュミット積和としてのunit-trace positive(密度行列)とします。
- 事象特に数値ボレル上の事象としての物理量は、射影作用素(値測度)、またはEffect Operator(値測度:POVM)、または有界正規作用素とします。
- 以上のペアについて確率や期待値はで計算します。(Born)
- 状態発展はユニタリ、または等長、またはCPTP、または少なくともPositivity-Trace preservingとします。(Schr-Eqは強連続ユニタリをStoneで微分すればいい)
- PVM測定において、での成立をみたときの事後状態をとします。(射影仮説)
(現代的なスタイルはモリモリ自然な一般化を受けているのでバリエーションを並列しています)
何が「公理系」じゃと個人的には思ったりするのですが、
大体の物理理論というのは、「現象Xを数学的構造Yで表現しましょうね」「表現出来たら現象側での挙動と理論側での計算を対応させて遊びましょうね」
というものなので、量子力学は単にある種の確率論の数学的構造をヒルベルト空間の作用素を使って表現しましょうというスローガンのことです。
確率論としての適当な数学的構造と、その外延性および適当な位相構造を考えると、状態と事象の間に完全な双対圏同値が成り立ち(後述)、また物理量だの測定だのといった概念は量子力学と独立に定式化可能な一般的概念なので、
量子力学のコア主張は本質的に
「状態空間をunit-trace-positiveな作用素で書きます」ー★
または
「事象空間をEffect Operatorで書きます」ー★
のどちらかを採用しましょうということです。
で、射影仮説です。これどうもかつては相当なバズワードで、ああ~もうそういうバズりが嫌なので物理やっとるのに的な僕としては
いちいち過去のバズりっぷりを調べる気力もないのですが、まぁこの仮説が入っている点について不満があるという意見があったのです。確か。
「不満」と表現するのは、別にこれは矛盾でもなんでもないということです。運用上問題はないけどなんかそぐわねぇなというお気持ちです。
(そもそも何をもって矛盾というのかがはっきりしない程度に量子力学含めた物理学は「物理的意味」ドリヴンじゃん…というと怒られそう)
その不満の代表的な物として、
- 系の発展の仕方が複数(ユニタリ、等長、CPTP…と射影)あるのが嫌だ。
- ウィグナーの◯◯系の思考実験:「観測者の観測者を考えると射影仮説の適用ラインが後退するので、状態が観測者依存になるけどいいの?」
- 波束の収縮系:「観測で状態が瞬間的に変わること自体がキモい」
あたりがあると思います。
それで、YouはShock!な一部物理学者の間で射影仮説やめろキャンペーンが…
はられたかどうかは知りませんが、射影仮説が特に運用上問題を起こさないことはとっくにわかっているので、射影仮説を他の自然な性質や残りの公理から出して消そうという運動がおこります。多世界だと思いましょうとか、勝手にデコヒーレンス起こす機構があるのではとか、そういう話です。
僕もまぁその手の本を読んで育ったり育たなかったりしたのですが、今はもう完全にこれ系に関してはドライになってしまっており、
その結果として以下で僕は次の信念にあります。
射影仮説は単に、一般化された条件付き「状態」の一例にすぎない。量子力学とは関係なく幾度となく使われてきたし、またあってもなくても(ある意味では)困らない。数学的には自由に考えて良い。
こう言うと、「いや、要るのでは」という見解もあるのですが、それ以前に「要る」が未定義語では…と無限に紛糾し…ォァァ
先に言い訳をしておくと、本当に射影仮説が要るときというのは「ある事象を観測した事後状態」が欲しい時なのですが、
よく考えればその場合だって、測定値可測空間と状態空間の凸空間テンソル積からの可測CPTP写像とかを連鎖すればいいだけで、
明示的に「ある事象を観測した事後状態」を考えないと困るということはないんですよ。「ある事象を観測した事後のフィードバック操作」という(凸)可測関数を合成すれば済むわけで。
少なくとも目の前にある現象をモデル化するだけなら特に困らない。
本来考えられて然るべき数学的構造を考えないで「結果Aを得たときに…」という認識を理論にぶち込もうとするからこんな…こんな…ウッ...
一般化された条件付き「状態」というのは、要するに射影仮説もCPinstも条件付き確率測度もすべて単なる一例になるような、「状態の再規格化操作」がもっと一般的な文脈で考えることができて、確率測度だろうが密度行列だろうが、行う数学的処理は全く同じだということです。
要するに、普段「条件付き確率」を違和感なく操作している人が射影仮説を拒むことはできないし、逆も然りということです。
で、学習理論だのベイズ推定などがワイワイやってる現在「条件付き確率」なんて珍しくもなんともないよね?
いや、別にいいですよ、「条件付き確率/状態は単なる数学的操作にすぎない」と主張することもまた可能です。確率的推定だって可測写像にすぎないわけですからね。その人が「私は結果Aを得た。その条件下で系は~」と一生言い出さなければ大丈夫だし、
実際に一生そういうことを言わなくても量子力学も確率論も機能するわけです。人生つまんないと思うけど。
釈明します。
以上の「一般的」というのは一般確率論(GPT)だとか操作的確率論(OPT)とかの修辞と同じ射程を意味します。
GPT,OPTとは、もっと緩く自然な公理から開始される一般的な確率論で、古典と量子と、あるいはその他を含みます。もっともプリミティブには「状態」と「事象」という二つの集合があって、そのペアごとに「その状態でその事象が成り立つ確率」を得られる状況があるというような最低限の合意をします。
これは別に良いですよね? 状態と事象とは、そのペアについて確率がわかるものです。おわり。はい。
で、大変面倒なことにGPT,OPTは流儀にばらつきがあり、それぞれの数学的構造の語法や射程がいまいち統一されていないので、具体的な例を挙げる気になりません。そこで僕は圏好きなので、次の最高にクールな随伴圏同値から始めます。
ただし相互の随伴関手はで、は単位区間[0,1]です。
定義をしましょう。とは、ある局所凸位相ベクトル空間のコンパクト凸集合のなす圏です。とはEffectModuleかつ適当な距離位相完備なものの圏です。
さて、僕のように量子基礎論に脳を侵されていると、ここで疑問が生じます。ヒルベルト空間の時と同様、それらの数学的構造は、物理的意味にmotivateされているか?ということです。
これに関しては簡単な思考実験で、わりと正当化できます。長くなるので省略しますが、双外延的(状態は事象で識別され、全ての状態で同じようにふるまう事象は同一)であれば、いかなる一般確率論モデル(つまり状態と事象)も、適当な位相を突っ込むことで、の対象だと思うことができます。要するに憎き(?)ヒルベルト空間のときとは違って、これらを状態、事象の数学的構造だと宣言する十分な理由があるということです。
はその数学的操作について物理的解釈と動機を持つということがわかりましたが、具体的な現実の系について、それを表現するCCH,BEMの対象を直接大量の実験をして得るのは非現実的です。
そこで大抵は、目標とする系を十分記述できるようなCCH,BEMの対象を獲得する発見法的議論を我々は持ち合わせます。その一つは確率論と通常呼ばれているもので、
です。はその空間上の適当な確率測度のなす空間です。つまり確率測度の集合を状態とみなす関手です。一方で量子力学は
※ヒルベルト空間と等長写像を、密度行列と等長写像の両側積に移す。
とか
※上に加えて一般にCPTPを許容する。
とかやるわけです。作用素環で物理やりたいという奇特な人たちは先に事象側を作って
とかをやります。この場合の対象はC*代数を単位的と思って、レーヴナー順序で1以下の作用素をEffectModuleと見なします。それから、これだけでは事象や状態の一方だけなので、双対圏同値のを使って作っておきます。こうして補完された状態や事象の全てに意味がある保証はありませんが、随伴の普遍性のお陰で、外延性の限りで一番デカイのが手に入るので実証主義的には困りません。
さて、こうした構造を考えたときに、測定とはなんでしょうか?
ここで「測定値標本空間の値xを得ること」というのはしばし問題になる勇み足です。なぜなら、もしその一点確率測度がゼロならばその現象は起き得ないことになります。手っ取り早くかつ十分受け入れられるほどに禁欲的なのが、上とに関するコンマ圏をとることです。
というのも、この圏の対象は、「状態空間から確率測度のなす空間への凸写像」なので、測定器を用意して、相互作用させ、系を捨てたが、測定器のメーターはまだ見てないという状況にあたります。一生見なくていいよ。
測定過程も同様で、での適当な(例えばLocalTomographyを仮定するとか)テンソル積を考慮した上で、とのコンマ圏を考えればよいことになります。そうしたらこの対象は出力系に合成された「測定器系」に測定結果をストレージするが、系は捨てていないという状況になります。
ここで測定過程を考えましょう。
ここで、側に、好きな事象をツッコミます。それからS2の状態を消去すれば、測定結果がである確率が得られます。
この確率で、を突っ込んだだけの未規格化状態を規格化します。これは事後状態とみなせます。もしが密度行列であり、
MがCPinstであれば、これはinstrumentの事後状態処理そのものです。これは射影測定過程を含むので、これは射影仮説と同じことをしています。
RN微分を考えることもできます。の任意の事象を評価させると、唯の測定値集合上の測度:規格化されていない確率測度がのこります。
これとの自明な事象で消去した場合と比べると絶対連続なのでRNを行うことができます。このRN微分の結果を、についてCurryすれば、測定値集合インデックスされた状態が出来上がります。
(ただし、単なる測度のときに準じたRegularityがどこかで必要になると思われる)
以上の操作はが確率測度の凸空間であれば、たんに条件付き確率の処理に同じです。つまり凸空間としてのの数学的実装が違うだけで、
やっている処理は同じなのです。RNができるのも同じです(これはをの双対の直積位相で入れているのも効いている)。
すると、もし誰かが条件付き確率の処理を自然に行っているならば、その人が量子力学での射影仮説を拒む理由は何処にもないのです。
射影仮説は理論に「事後」を考察することを許容することと等価で、これは量子だろうと古典だろうとどの確率論でも同じです。
逆に言えば「事後状態は…」とか「結果Aを得て…」という状況を考えるのをやめれば射影仮説どころかもっと広汎に「事後」概念を捨てられます。
そして捨てたところで失うものはありません。
繰り返しますが、「結果Aを得て…」または「結果xを得て…」という条件下での事後処理を表現したいという動機がありますが、
今測定プロセスがと書かれているわけで、
このあとに事後処理を表現するからの可測写像をで移したものを続ければいいだけだからです。みたいな空間からの写像というのを考えるのになんの困難もないのですから。
このとき「結果Aを得て…」という文脈は現れませんが、どの結果が出ようが確率がゼロだろうがちゃんと写像されてなんの問題もなくモデル化できます。「結果Aを得て…」という文脈を欲しがっているのは人間であって、現象ではありません。
現象は単に十分豊かな(可測、凸、CPTP…そのミックス)写像があれば書けるわけです。
すると、射影仮説が良いか悪いかというのは、
「「結果xを得て…」という主観的体験の分岐可能性を数学的モデルが表現できて欲しい」という要求をどこまで理論に押し付けるか?
という話にすぎないのです。で、別にそれはどっちでもいいわけです。やりたいならばやれば?という話で終わりです。数学的には可能だし、RegularであればRN微分で、測定値の各点ごとの条件付けもできます。ただし、条件付き確率と射影仮説は同じ階層にいる概念なので、一方を受け入れて一方を拒否するのはダブスタです。これは認められない。あなたはどちらがお好みですか? 僕はRN微分がかっこいいので条件付けしたいです(そうじゃない)
2.マラ9
を聴いて来ました。先週末。慶応のワグネルソサエティという大学オケです。
http://www.wagner-society.net/
マラ9はいいぞ(布教をしようと思ったがここで息絶える)。